一筋縄ではいかない小説『三四郎』

九州から東京帝国大学に入学するために上京してくる学生の姿を描いた漱石の『三四郎』。東京大学教授の阿部公彦(あべ・まさひこ)さんは、この小説を「とても一筋縄ではいかない」と評します。

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『三四郎』は、1908(明治41)年の作品です。夏目漱石はその前年に、東京帝国大学の教職を辞して朝日新聞社に入社し職業作家として小説の執筆を開始、「朝日新聞」紙上で『虞美人草』『坑夫』『夢十夜』などを立て続けに連載しています。『三四郎』も、四か月ほどの連載で完成させた作品です。
この小説も、あちこちでエンターテイナーとしての漱石の腕前が存分に発揮されています。主人公が電車の窓から弁当箱を投げ捨てたら、風下で車窓から顔を出していた女の人を直撃するとか。ところが、この女性と一緒に旅館に泊まることになり、もう少しで同衾(どうきん)までしそうになって、そのあげく嘲(あざけ)られたりとか。まるで現代のラブコメを見ているような軽快な展開です。
しかし、そうした軽快な語りばかりがこの小説のすべてではありません。細かい仕掛けや、仕掛けと呼んでいいのかどうかもわからない、不思議な細部もある。いかにも意味ありげな謎めいたセリフや、あれこれ悩む主人公の不安顔も忘れられない。
『三四郎』はしばしば近代小説への第一歩とみられます。私もそうした見方にならうつもりです。心理の書き方、女性の登場のさせ方、謎の作り方、思弁の入れ方、どれにもプロの作家としての漱石のこだわりや工夫が見て取れる。しかし、細かい小説作法の約束事などかまわず、おもしろいことはどんどん語ってしまおうという奔放さもある。『吾輩は猫である』の、あの自由な語りの名残りがあるのです。
このぜんぶが『三四郎』という小説なのです。とても一筋縄ではいかない。そんな小説をうまく受け取るためのヒントはどこにあるか、その「読みどころ」を見ていきましょう。
主人公は、タイトルにその名を冠する小川三四郎。東京帝国大学に入学するために、三四郎が九州から汽車で上京してくる移動のシーンから小説は始まります。
うとうととして眼が覚めると女は何時(いつ)の間にか、隣の爺(じい)さんと話を始めている。
すでにこの冒頭部から、作品の特徴が濃厚に表れています。「何時の間にか」という語句に注目しましょう。三四郎にとって、世界はいつも「何時の間にか」動いたり、変化したりしているようなのです。居眠りから覚めた三四郎は立ち後れる。どぎまぎする。そして、慌てて周囲の状況変化を把握しようとします。読者は、こんな主人公の様子を見て、いかにも初々(ういうい)しい青年の登場だという印象を抱くのではないでしょうか。
一読すればわかるように、『三四郎』はストーリーが明確です。イノセントな青年が、都会で世知に長(た)けた人物や謎めいた女性と出会い、さまざまな体験をし、世相や常識を学んでいく。逆に常識に裏切られたりもし、その過程で自分がどのような人間であるかを確認していきます。いわゆる教養小説(ビルドゥングス・ロマン)の形態をとっています。そのことは作品のタイトルからも明らかです。人物名がタイトルとなった小説といえば、ブロンテの『ジェーン・エア』やディケンズの『オリヴァー・ツイスト』などがあります。イギリスにおける教養小説の典型といえる作品です。漱石も『三四郎』を、主人公が成長していく物語の枠組みで考えていたのは間違いないでしょう。
しかし一般的な成長物語は、「この主人公は苦難を乗り越えて別の人になった、確かに変化した」と読者が実感して終わるのが常であるのに対して、少なくとも私には、三四郎に決定的な成長段階が訪れたようには感じられません。大人になりそうでいながら、完全には成長することができないまま、物語が先に終わってしまう─。そんな印象を残すのです。
小説冒頭、三四郎の視線の先にいる汽車のなかの女は、子どもに会いに郷里に帰るため京都から乗り込んできた見知らぬ女性です。三四郎はなりゆきから名古屋で彼女と同室で一泊するはめになります。有名なのは、風呂場のシーンです。
そこで手拭(てぬぐい)をぶら下げて、御先へと挨拶をして、風呂場へ出て行った。風呂場は廊下の突き当りで便所の隣にあった。薄暗くって、大分不潔の様である。三四郎は着物を脱いで、風呂桶(ふろおけ)の中へ飛び込んで、少し考えた。こいつは厄介だとじゃぶじゃぶ遣(や)っていると、廊下に足音がする。(中略)例の女が入口から、「ちいと流しましょうか」と聞いた。三四郎は大きな声で、「いえ沢山です」と断った。然し女は出て行かない。却(かえ)って這入って来た。そうして帯を解き出した。
意表を突く女性の行動に、三四郎はあわてて風呂場を飛び出します。そして部屋に戻れば一枚の布団の真ん中に仕切りを作って、彼女と触れあわないようにして寝る。その結果、翌朝になり「あなたは余っ程度胸のない方ですね」と女にからかうように笑われることになるのです。
冒頭のこのエピソードは、三四郎の性格や無垢さをよく表しています。ポイントは、そうした性質が、見知らぬ女性との出会いによって描き出されていること。逆にいえば、彼の女性との向きあいかたが変化したと実感できれば、読者は三四郎が成長したと感じることができる。三四郎はやがて美禰子(みねこ)という思わせぶりで謎めいた女性と出会うことになります。成長物語として『三四郎』を読むとき、この美禰子との向きあいかたを一つの軸として意識しておくといいと思います。
※続きはテキストでお楽しみください。
■『NHK100分de名著 夏目漱石スペシャル』より

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