『エチカ』を下巻から読むべき理由

17世紀オランダの哲学者スピノザの『エチカ』は、しばしば読むのがとても難しい本だといわれます。哲学者で東京工業大学教授の國分功一郎(こくぶん・こういちろう)さんは、下巻から読むことを提案しています。その理由とは?

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『エチカ』という本は、書き方がちょっと変わっています。それを説明しているのが、「幾何学的秩序によって論証された」というサブタイトルです。まるで数学の本のように、最初に用語の「定義」が示され、次に論述のルールを定める「公理」が来て、それからいくつもの「定理」とその「証明」がひたすら続き、そこに「備考」という補足説明がついて……という形式が繰り返されるのです。
哲学の本というと長い地の文がずっと続く論文というイメージがあるかもしれませんが、『エチカ』は「定理一」から始まって「定理二」「定理三」と、短い断章のような文が連なってできているのです(補足説明である「備考」がかなり長い文章になっていたり、部のあたまに「序言」がついていることもあります)。読者がまず驚かされるのはこの形式だと思います。慣れないと読みにくいかもしれません。ただ、自分の気になる短い断章を見つけて、その周辺から読み始めることもできるので、長い地の文を最初から読まなければならないタイプの哲学書よりは実は読みやすいかもしれません。
『エチカ』は全体が五部で構成されています。以下が各部のタイトルです。
第一部 神について
第二部 精神の本性および起源について
第三部 感情の起源および本性について
第四部 人間の隷属あるいは感情の力について
第五部 知性の能力あるいは人間の自由について
『エチカ』を手にした人は、おそらくこの本を冒頭から読もうとすると思うのですが、第一部「神について」を見てみると序文もなく、いきなり定義から始まるのです。一つ目の定義は次のようなものです。
一 自己原因とは、その本質が存在を含むもの、あるいはその本性が存在するとしか考えられえないもの、と解する。

(第一部定義一)



最初からこのようなことを言われても、少し困ってしまうかもしれません。これは、神が自己原因であることを説明するために、あらかじめ自己原因という言葉を定義している箇所なのですが、出だしから躓(つまず)いてしまう読者も少なくないでしょう。序文もなく、思考の構築のプロセスに突如放り込まれるところは『エチカ』を読み始める上での一つの難関かもしれません。
そこでまずはじめにお伝えしておきたいのは、別に冒頭から読み始めなくてもいいということです。ぱらぱらと本をめくったり、巻末の索引を見たりしながら、気になる定理から読んでみればいいのです。定理という断章が連なるこの本はむしろそのような読み方に向いています。なぜなら、どこから読み始めてもある程度理解できるからです。もっと知りたいと思ったら、そこから遡ったり、あるいは読み進めたりすればいい。もしかしたらこれはあらゆる哲学書について言えることかもしれません。
岩波文庫版だと上下巻で、下巻は第四部から始まっています。私が提案したい読み方は、下巻から読むことです。第四部の序文が、ちょうど『エチカ』全体の序文として読むこともできる内容になっているからです。ここを出発点にすると読みやすいだろうと思います。
カール・マルクスが『資本論』第二版の後書で、「叙述方法は画然と研究方法と異なっていなければならぬ」(『資本論』向坂逸郎訳、岩波文庫)といっています。スピノザの場合も、彼が実際に「研究」を進めた順序と、『エチカ』の「叙述」の順序は同じではないのです。叙述の順序にこだわるあまり、冒頭から読み始めて躓いてしまうのはもったいないことです。
■『NHK100分de名著 スピノザ エチカ』より

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