海がないのに海鮮山盛り! 奈良の名物鍋のヒミツ

この鍋を「日本版ブイヤベース」としてフランスの雑誌で紹介したのは、デザイナーの三宅一生さん。言い得て妙な言い回し。撮影:田渕睦深
奈良公園の一角に店を構える、明治時代から続く料亭。そこに、ちょっと変わった名物鍋が受け継がれています。海がない土地ながら海鮮をふんだんに使ったぜいたくな鍋。いったいいつ、どんな経緯で生まれたのでしょう。

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明治期より多くの文人墨客(ぼっかく)に愛されてきた、奈良の歴史ある料亭。そこで今も受け継がれ、冬の間のみ供されているのが「若草鍋」です。漆の器に盛りつけられた豪華な具材に、思わず上がる歓喜の声。でも、同時に「なぜ、この鍋が奈良名物に?」と不思議に思う人も多いことでしょう。
確かに、「これぞ奈良」という食材が入っているわけでも、味つけがされているわけでもありません。それどころか、海のない土地にもかかわらず、魚介がふんだんに盛り込まれています。
「もともとは、店で使った食材の残りを用いたまかない料理として、大正時代に考案されたそうです。なので、作るたびに具材が違っていたとか。時折いらしていた志賀直哉さんのリクエストで作られた、という話が残っていますが、記録はなく、真偽のほどは定かではありません」と、4代目として料亭を切り盛りする大和隆さん。
「昭和に入ると、伊勢や京都などから具材を調達し、店の料理としてお出しするようになりました。具材や味つけは、今もほぼ当時のまま。やがて評判を得て、戦後間もなくの天皇ご行幸の折には、献上もいたしました」
こうして名物となった、奈良の食材にこだわらない、奈良の鍋。まかないから始まった料理はいつしか、「具材をほかの土地からわざわざ取り寄せる」という手間ひまをかけた、おもてなし料理に変わっていったのです。明治末期に始まった鉄道の普及で、食材の調達が楽になったことも、この鍋が作られるようになった一因と考えられます。
材は全部で16品目。伊勢エビ、鯛、ハモ、コチ、ハマチ、ハマグリといった魚介をはじめ、ほうれんそう、白菜、水芋(長芋)、しいたけ、ぎんなんなどの野菜、そして、湯葉、生麩、春雨、かまぼこ、鶏肉と続きます。品数の多さに驚きますが、さらに目を引くのはプレゼンテーション。漆の器に美しく盛りつけられ、恭しく食卓へと運ばれるのです。こんもりと丸く盛られた具材が若草山を思い起こさせるとして、志賀直哉が「若草鍋」と名づけました。
味わいは、豪勢な見た目からすると意外なほどあっさり。具材のほとんどが魚介と野菜のため、軽やかで食べ疲れません。
「だしは昆布とかつおの合わせだしです。一度煮立てて、まずハマグリ、かまぼこ、鶏肉を鍋の中に。すると、これらからもいいだしが出ます」と大和さん。
ふたをして数分煮たあと、ほかの魚介と野菜を加え、火が通ったところで一度とり分けます。まずはポン酢も薬味もつけず、シンプルにだしの風味だけで食べるのが、大和さんのおすすめ。深い味わいが広がります。
その後は、生麩、湯葉、春雨を入れて食べ進み、だしをご飯にたっぷり吸わせた雑炊で〆。最後まで、おいしい驚きとサービス精神にあふれています。
かつてシルクロードの終着地として、多くの客人を迎えた都、奈良。古(いにしえ)のもてなしの心は、今も料理の中に生きているのかもしれません。
※家庭でもつくりやすい具材で料理研究家の冬木れいさんがアレンジした「若草山の鍋」のレシピをテキストに掲載しています。
■『NHK趣味どきっ!心も体もぽっかぽか 鍋の王国』より

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