普遍的無意識と「元型」

元型とイメージ(河合隼雄『ユング心理学入門』図8をもとに作成)
ユングは、人間の心には三つの層があると考えました。自我を中心とする「意識」の層、個人的な経験から成り立つ「個人的無意識」の層、そして心の最も奥深くにある「個人的ではなく、人類に、むしろ動物にさえ普遍的」な普遍的(集合的)無意識の層です。日本におけるユング心理学の第一人者である臨床心理学者・河合隼雄は、著書『ユング心理学入門』の中で、この普遍的無意識について自身のクライエントを例に説明しています。京都大学教授・臨床心理学者の河合俊雄(かわい・としお)さんに解説していただきました。

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普遍的無意識について、河合隼雄は自身のクライエント─母親に連れられて嫌々ながら来談した中学二年の不登校の男子生徒を例に説明しています。
《夢》自分の背の高さよりも高いクローバーが茂っている中を歩いてゆく。すると、大きい大きい肉の渦があり、それに巻き込まれそうになり、おそろしくなって目が覚める。
これは三回目の面接の時にクライエントが語った夢です。どうしてそんな夢を見たのか、本人には思いつくことが何もありませんでした。思いつかないどころか、肉の渦などという思いもよらない内容と恐ろしさに本人も呆れるばかり。このような場合、夢の内容は「このひとの意識からはるかに遠い、深い層から浮かび上がってきたとしか考えられない」と著者はいい、夢の中心をなす恐ろしい渦を、神話や人類共通のイメージから理解しようと試みます。
この場合の渦は、渦巻線としてよりは、何ものをも吸い込んでしまう深淵としての意義が大きいが、このような深淵は多くの国の神話において重い役割を演じている。すなわち、地なる母の子宮の象徴であり、すべてのものを生み出す豊壌の地として、あるいは、すべてを呑みつくす死の国への入口として、常に全人類に共通のイメージとして現われるものである。
日本の神話でも、国土を生み出した母なる神・イザナミは、のちに黄泉(よみ)の国に下って死の神となります。世界の至るところに見出すことができる地母神や“母なるもの”のイメージを、個人的な母親像とは区別して、ユングは「太母(グレートマザー)」と呼びました。
この少年は、このような意味をもった太母の象徴としての渦のなかに足をとられて抜けがたくなっているのではないか。そして、この少年が学校を休んで最も熱中していたことは、石器時代の壺を見ること、そして、そのまがいものを自分で焼いて作ってみることであったことは、非常に示唆するところが大きいと感じられる。すなわち、壺は、産み出し、あるいはすべてを呑み込むものとして、最も普遍的に太母神の象徴になっているものだからである。
石器時代の壺を見たり作ったりしているというのは、太母神を崇(あが)め、これに仕(つか)えている状態と考えることができます。そして次の面接の時、肉の渦のイメージの凄まじさについて話をしていると、彼は急に「家で甘やかされているのが嫌だ」と語り、そこから治療的な話が展開していったと著者は綴っています。
治療の過程で、不登校の一因が弱い父親像にあることが明らかになります。しかし、それだけでは肉の渦の夢や、少年が古代の壺に夢中になっていたことを説明することはできません。父親の問題が未解決のまま少年が再び登校するようになったことも、それが派生的なことだった証左といえます。著者は「すべての心的な反応は、それを呼び起こした原因と不釣合いの場合には、それが、それと同時に何らかの元型によっても決定づけられていないかを探求するべきである」というユングの言葉を引き、心理療法においては普遍的無意識から湧き上がるイメージやパワーにも十分に着目することが重要だと説いています。
ユングの一文にある「元型」とは、全人類の普遍的無意識に認められるモチーフであり、そうしたモチーフを生み出す「人間が生来もっている『行動の様式』」をいいます。これに関連して、著者は東アフリカのエルゴン山中に暮らす住民の太陽崇拝を例に次のように述べています。
昇る太陽を見たときに、それをそのまま太陽としてみるよりは、「神」として把握しようとする様式が人間の心の内部に存在していると考え、そのような把握の可能性としての元型を考えるのである。しかし、この元型そのものは、あくまで、われわれの意識によってはとらえることができず、結局のところ、その意識に与える効果によってのみ、認識されるにすぎない。(略)元型的な心像の把握は、われわれの主体性の関与と、主体と客体を通じての一つの型の認識なくしては、不可能なのである。
意識では捉えることのできない、例えば太母のような元型的イメージを掘り起こしていくには、主体的な関与が不可欠だということです。「心の現象学」のところで指摘したことを、ここで改めて述べているのは、それだけ大切で、かつ困難なことだからでしょう。不登校の少年のケースにおいても、著者と少年とが主体的に関わることで肉の渦から太母のイメージが浮かび上がり、解決への道を照らすことになったのであって、渦=太母というパターンを当てはめても問題の深層に迫ることはできないのです。
■『NHK100分de名著 河合隼雄スペシャル』より

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