西郷どんのパワーの源は郷里の豚肉料理だった?

西郷どんの好物であった郷土料理の「豚骨」。もともとは戦場や狩り場でつくったといわれ、地元・鹿児島ならではの桜島大根や麦みそ、黒砂糖を使った豪快な料理です。つくり方はテキストに掲載しています。(料理:柳原尚之さん 撮影:久間昌史さん)
薩摩藩(さつまはん)の下級武士から明治維新の立て役者となった西郷隆盛(さいごう・たかもり)。人生のさまざまな苦難にも負けず、幕末から維新へと時代を動かした西郷(せご)どんの好物は、故郷・鹿児島の豚肉料理「豚骨(とんこつ)」。栄養豊富な骨付き肉が、変革をもたらすエネルギーになったのかもしれません。志學館大学教授の原口 泉(はらぐち・いずみ)さんに、薩摩藩の食事文化について伺いました。

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■薩摩藩に残る、豚肉食文化

『南洲翁逸話』(鹿児島県教育委員会編)に西郷は「豚骨とみそ汁を好まれ、骨をすすりてその味を賞せられた」と紹介されています。若い頃には大久保利通とともに、いのししやうさぎなどの狩りに行くのが趣味だったといいますから、肉は日常的に食べていたのでしょう。西郷だけでなく薩摩藩では、獣肉食がタブーとされる江戸時代でもその風潮が薄く、豚やいのしし、鹿などの獣肉をよく食べていました。中でも豚は飼育しなくてはならないので、その肉は野生の獣肉よりも高価であり、ごちそうだったようです。
1996年から、東京・港区教育委員会が、薩摩藩邸跡の発掘調査を行ったときには、多くの獣骨が発見され、その6〜7割が豚またはいのししの骨だったそうです。しかも多くが成長の止まる1歳から1歳半のものであったことから、豚が飼育されていたと推察されています。他の藩邸跡では魚介や鳥の骨が見つかることはあっても、獣骨がこれほど多量に掘り出されることはなく、薩摩の食文化が他の地域といかに違っていたかを示すものです。これは日本が鎖国をしていたときも、薩摩藩領の琉球は中国との朝貢(ちょうこう)貿易が認められていたため、貿易を通して海外の物資や食文化が入り、影響を受けたためと思われます。また、嘉永(かえい)4(1851)、島津斉彬が藩主となって初めて鹿児島に戻ったときにも、勤務する藩士たちへのまかない料理に、豚汁や炒(い)り豚(豚肉の炒め物)などを出したという記録が残っています。

■豚肉で長身になった? 薩摩人

豊富な動物性たんぱく質やビタミン類を含み、しっかりとエネルギーがとれる豚肉は、西郷をはじめ、薩摩藩士にとってパワーフードであり、また豚肉に含まれるビタミンは、江戸の深刻な病であった脚気(かっけ)の防止にもつながる、健康の源となっていたようです。そのためか薩摩藩の人間は、江戸時代の日本の男子の平均身長とされる155cmよりも身長が高かったようで、西郷の明治初頭の身長は、残された軍服などより、五尺九寸余(約178cm)、体重は二十九貫(約110kg)、肉付きがよく、がっちりとした体格だったと推定されています。
■『NHK趣味どきっ! 幕末維新メシ』より

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