なにがうそで、なにがほんとの

俳句における「虚」と「実」、そして、二つが融合した理想的な「正」について、俳人の髙柳克弘(たかやなぎ・かつひろ)さんが読み解きます。

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戯曲・小説・俳句と幅広い創作活動を展開した久保田万太郎(くぼた・まんたろう)は、空襲で東京の家を焼かれ、鎌倉に住んでいた昭和20年、ある句会で次の句を詠(よ)みました。
東京にでなくていゝ日鷦鷯(みそさざい)

久保田万太郎


同じ座にいた人が、「先生、みそさざいが居ましたか」と聞いたところ、万太郎はたちどころに「見なけりゃ作っちゃいけませんか」と切り返し、一同キョトンとしたそうです。万太郎の自信作の一つに「なにがうそでなにがほんとの寒さかな」という句があります。思いがけないことの起こるこの世は、現実でも虚構のようであり、噓(うそ)と本当は分かちがたいものだという万太郎の人生観が読み取れます。
「俳諧(はいかい)は火をも水にいひなす」とは、『奥義抄(おうぎしょう)』に見られる歌人・藤原清輔(ふじわら・きよすけ)の言葉ですが、作り事を、いかにも本当の事のように思わせることが肝要なのであり、発想のきっかけとなった現実を問う必要はないのです。冒頭に示した万太郎の句も、沢に近い林に棲息(せいそく)する鷦鷯が、都会から離れた暮らしぶりを想像させます。東京に出る用事のない日に、鷦鷯が姿を見せたら、いよいよ寛いだ気分になるだろうなあと、実感がありますね。
江戸時代中期の俳論書『うやむやのせき』は、「虚」と「実」、そして二つが融合した理想的な「正」の作例について、具体的に示しています。
虚  糸切(きれ)て雲となりけり鳳巾(いかのぼり)
実  糸切て雲より落つる鳳巾
正  糸切て雲ともならず鳳巾
糸が切れた凧(たこ)が、高い空で雲になってしまった、という「虚」の例は、いかにも作り事めいています。かといって、糸が切れたあとには落ちてしまった、という「実」の例は、重力の法則に従った当然の帰結で、面白みに欠けます。そこで、『うやむやのせき』の作者は、「雲ともならず」と否定形を用いた綾のある表現で、雲になると見えたのだが消えてしまったと、ぼかした句案を「正」としたのです。
私の考えでは、「雲ともならず」が、虚実融合の理想的な「正」の例かどうかについては、疑問があります。「実」の例として挙がっている「雲より落つる」は、「雲より」の部分に「虚」の要素があり、予定調和の嫌いもあるにせよ、これが一番成功しているように思えます。事程左様(ことほどさよう)に、虚と実をいかにブレンドするかは、悩ましい問題です。
■『NHK俳句』2018年1月号より

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