藤井聡太を見守る師匠の眼差し...... 天才棋士の師匠は「つらい」?
- 『師匠はつらいよ 藤井聡太のいる日常』
- 杉本 昌隆
- 文藝春秋
- 1,760円(税込)
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棋士の藤井聡太氏といえば、テレビやSNSのニュースで目覚ましい活躍を目にする機会が多い。2023年6月1日に報じられた「史上最年少で名人&七冠獲得」のニュースは、将棋に明るくない人間から見ても、並々ならぬ才能の持ち主なのが分かるほどだ。
今回ご紹介する『師匠はつらいよ 藤井聡太のいる日常』(文藝春秋)は、藤井氏の師匠である杉本昌隆氏のエッセイだ。ニュースからはうかがい知れない藤井氏の素顔が、杉本氏とのやりとりから浮かび上がってくる。
ちなみに将棋界における「つらい師匠」とは、「伸び悩んでいる弟子を心配する棋士」を指すのだそうだ。その点では杉本氏は「つらい師匠」には当てはまらない。だが、多忙な毎日を送る藤井氏の師匠だからこそのつらさもあるのだという。
「弟子を持つ師匠は子を想う親と同じである。忙しすぎて身体を壊さないか、イベント出演は気を使うのではないか......心配のタネは違えど気がかりなのは、つまりつらい気持ちは誰もが持っているのだ」(同書より)
藤井氏が弟子入りしたのは小学生のころ。以来師匠として見守ってきた杉本氏としては、弟子の成長を喜びつつ心配のタネも尽きない。
杉本氏に限った話ではないのだろうが、弟子の試合を見守る師匠という立場も、想像するだけでつらいものがありそうだ。たとえ苦戦していても、直接できることはなく見守るしかないのだから。
「控え室では『関係者の一員』として客観的な検討を意識する。だがこれがなかなか難しい。
『藤井さん苦戦ですね』
『はあ、そうですか......』
『藤井さん逆転して勝ちそうですよ』
『え! そうですか!』
隠せない師匠の感情。もしもテレビ画面等でご覧になったら、笑ってやってください」(同書より)
ご本人としては照れくささもあるのかもしれないが、弟子を思う気持ちが溢れ出ているエピソードでなんとも微笑ましい。
一方で、才能あふれる弟子をもつ師匠ならではのつらさもある。段位では、師匠の杉本氏より弟子の藤井氏のほうが上なのだ。藤井氏が努力する姿を見守ってきた師匠だからこそ、当然嬉しい気持ちはずっと大きい。それでも、やはり「ずるい」と思うこともあるようだ。
しかし、杉本氏もまた将棋を深く愛する棋士の一人。藤井氏が弟子になったことで、自分の将棋が変わったことを楽しんでもいる。
「棋風が変わるきっかけはひょんなことから。私の場合は、藤井二冠という弟子の存在が大きい。(中略)師匠の影響で弟子が変わるのではなく、逆に師匠が影響を受けるのだから人生って面白い」(同書より)
杉本氏の人柄も大きいのかもしれないが、師匠だから、弟子だから、ではなく、将棋に打ち込む者同士が影響し合っていくのだろう。
藤井氏の躍進はエッセイの中でも多く触れられている。藤井氏は名誉や記録に関心がなく、四冠を達成した際も、五冠を達成した際も冷静そのもの。しかし将棋の話では饒舌になる。師弟で時間を忘れて語り合う時間は、なんとも楽しそうだ。
「『王将と五冠おめでとう』
『ありがとうございます』
『......』
『......』
『そう言えば昨日の将棋はどうだったの?』
『それはですね』
この既視感。そうだ、竜王獲得の時と同じだ。どんな偉業より将棋の内容のほうにこだわる藤井新王将。本当に頼もしいのである」(同書より)
杉本氏の目線を通して見る藤井氏は、頼もしさもあるのだが、なんともかわいらしい。実際、エッセイで描かれている藤井氏は二十歳になるかならないかの時期であり、かわいらしさがあって当然でもある。
ニュースなどで目にする藤井氏は、キリリとした表情で将棋を指す姿が多いので、その印象が強いのだろう。年相応の様子が描かれていると、彼の年齢を思い出してハッとする。
「若干戸惑いながらリュックにそれを詰める藤井二冠。うん、まだまだ子どもだ......って自分がそう思いたいだけか。スニーカーでなく革靴のもうすぐ十九歳の藤井二冠を見て浮かんだ。
<誕生日弟子より師匠がもの思う>(字余り)」(同書より)
棋士としての藤井氏を頼もしく思いつつ、弟子として慈しんでいる杉本氏の目線が温かい。
杉本氏は、直接の弟子だけでなく若い世代への愛情が深い。「若い人にはおやつ」というルールをご自身に課しているところからも、後進を育てようという気持ちが強い人なのだと感じる。エッセイの中で語られる、杉本氏自身の師匠への感謝。それが若い世代へと受け継がれているのかもしれない。読了後、ほっこりと温かな気持ちになった。