世界最大の"麻薬地帯"に7カ月間も滞在!? 作家・高野秀行がアヘン栽培に挑んだら...

アヘン王国潜入記 (集英社文庫)
『アヘン王国潜入記 (集英社文庫)』
高野 秀行
集英社
924円(税込)
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「それは農業なのか犯罪なのか」(本文より)

 ここに一冊の本がある。タイトルは『アヘン王国潜入記』(集英社)。表紙には3人の男性が屈託のない笑みを浮かべており、彼らの周りには白い花が咲いている。一見キレイなその花の正体はケシの花、つまり麻薬の原料となる花だ。

 同書を手がけたのは、「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」をモットーにするノンフィクション作家・高野秀行氏。モットーに掲げているからと言って、まさか麻薬地帯にまで足を運ぶとは誰も思わないだろう。しかも1日、2日の話ではない。播種から収穫までを体験したいがために、約7カ月間に渡って麻薬地帯に滞在したというから驚きだ。

 そもそも彼はなぜアヘン王国に潜入しようと思い立ったのか。その理由の1つには、彼自身が「未知の土地」に憧憬の念を抱いていたことが挙げられる。

「私は学生時代に探検部という時代ばなれした部に所属していた来歴から『未知の土地(テラ・インコグニタ)』に限りないあこがれを抱いていた。ところが実際には、地理的な探検は私がこの世に生を享けた時分にあらかた済まされており、残っているのは落ち穂拾い的な作業だけだった。しかも、それは行政府やメディアが、まるで電気掃除機を使ってガーッと吸い取るかのようにしておこなう、有無を言わさぬ処理のように見えた」(本文より)

 だからこそ外部の人間が滅多に足を踏み入れることのできない土地「ゴールデン・トライアングル」に心を掴まれ、自分の肌で感じてみたいと思ったという。

 ところでみなさんは、ゴールデン・トライアングルをご存知だろうか。ゴールデン・トライアングルとは、インドシナのタイ・ラオス・ビルマ(ミャンマー)が国境を接する密造地帯のこと。いわゆる"麻薬地帯"である。タイやラオスは1980年代以降からアヘンの生産量が激減しているそうだが、ビルマはその真逆。生産量が落ちるどころか増加する一方で、今ではゴールデン・トライアングルの全生産量の9割を担っているそうだ。

 そして今回彼が訪れたのは、ビルマ屈指の反政府ゲリラの支配区・ワ州。人口は不明、面積はおよそ1万200平方キロメートルで岐阜県の大きさに匹敵する。ちなみに外部の人間でワ州に長期滞在した者はいないといわれており、ジャーナリストや国連関係者が訪れてもせいぜい4、5日の滞在がいいところ。つまりアヘンを栽培する・しない以前に、ワ州に数カ月間滞在しようとしていること自体がものすごいことだといえる。

「私は種まきからアヘンの収穫までケシ栽培の全工程を体験しようと思っていたから、どうしても四、五カ月は滞在しなければならず、そうなると、シャン人のセン・スック自身『ギネスブックに申請できる』と真面目な顔で言っていたくらいの記録になる」(本文より)

 ではそんな未知の土地と知られるワ州とは、一体どのようなところなのだろうか。同書では以下のように綴られていた。

「行く前は、私自身、見当もつかなかった。それだけに、その実態を目の当たりにしたときはいささか拍子抜けした。単なる中国の田舎町だったのである。橋を渡る前と全然変わらない。実際、あの国境地点で居眠りでもしていたら、中国を出たことにも気づかなかっただろう」(本文より)

 ワ族といえば、近年まで首狩りの風習があったといわれている民族。そんな恐ろしい人物たちがアヘンを栽培している地域なのだから、さぞとんでもない無法地帯に違いない。...と勝手に想像を膨らませていたのだが、どうやら実際はそうでもないらしい。高野氏が訪れた集落の人々も、いい意味で普通のイメージ。アヘン吸いも1人もいなかったという。

 そもそもこの地では、国家によってアヘン吸いが禁止されている。理由は至って簡単。唯一最大の外貨獲得手段=アヘンを無節操に消費されなくないためだ。ただし日本ほど強い禁止令ではなく、薬も医者もいない村では万能の医薬品として重宝されているとか。現に高野氏も体調不良を緩和させるためにアヘンを処方しており、その時の様子を次のように語っていた。

「このアヘンの効き目のすごさといったら! 頭蓋骨痛も、胃の不快感も、下痢も、節々のだるさも瞬時に消えてなくなった。身体は毛細血管の隅々まで暖かい血流がめぐり、全身がふわふわと浮き上がるような感じだ。眠りに引き込まれるときのあの心地よい瞬間が持続しているのを想像してもらえば、いくらかわかるかもしれない」(本文より)

 けっきょく何が言いたいのかというと、「麻薬=悪」ゆえに「アヘン栽培をするワ族の人々=悪」ではないということ。私たちは麻薬を「悪」と捉えているがために、どうしても「麻薬地帯に住む人々=悪」と先入観を持ってしまいがちだ。しかし現地の人々にとって、アヘン栽培は純粋な農業。農家の人々が生活のために米を栽培するように、ワ族の人々も生活のためにケシを栽培しているにすぎない。

 ただ、ワ州がアヘンで生活を営む一方で、中国ではアヘンで命を落としている人がいるのもまた事実。果たしてこれは農業なのか犯罪なのか――。同書を読んで、ぜひ自分の目で見極めてほしい。

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