本田圭佑はカラオケでラルクアンシエルのhydeになり切っていた?

Sportiva 保存版 ブラジルW杯特集号 (週刊プレイボーイ増刊)
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1986年6月13日。

左利き。

ガンバ大阪ジュニアユース出身。

 サッカーに少々詳しい人であれば、この3つの情報だけで、どの選手のことを指しているか、ピンとくるのではないでしょうか。そう、日本代表であり、現在ACミランで10番を背負う本田圭佑です。

 しかし、それと同時に元日本代表で、現在、大宮アルディージャに所属する家長昭博でもあるのです。

 同じサッカー選手である二人は偶然、同じ年の同じ日に生まれ、ガンバ大阪ジュニアユースで凌ぎを削った仲。本田がユースチームに昇格できず、石川県の星陵高校で鍛え直したストーリーは有名ですが、その時、家長はユース昇格、トップ昇格と順調にサッカー選手としてのレベルアップを図っていました。そして、2007年には日本代表にも招集されたのです。

 そんな家長が、雑誌『スポルティーバ』のブラジルW杯の特集号で、本田との過去を語っています。

 家長によると、当時の本田は一言で言うと「個性的」。今もそういった印象を持つ人は多数いますが、本田の個性は折り紙付きのようでした。実力者揃いのガンバジュニアユースでしたが、本田は唯一、派手な黄色のスパイクを履いていたそうです。また、カラオケでも目立っていたとのこと。

「グラウンドでも存在感があったし、グラウンドを離れても、目立っていました。カラオケに行っても、めちゃめちゃ歌がうまかった(笑)。当時はラルクアンシエルの曲を、ボーカルのhydeになり切って、よく歌っていました。」(同誌より)

 ラルクアンシエルを歌う本田の姿、これは貴重です。

 また、家長は腕相撲にとても自信があったようですが、本田はそれ以上に強かったとか。今だからようやく認めると話す家長ですが、「僕もそんじょそこらの人には負けないと自負していたのに、圭佑と対戦したら、あっさり負けました。ていうか、腕相撲のみならず、"負けず嫌い度"についても、佳祐に勝てる気がしません。腕っ節は強いは、ケンカも強いは、言い争いでも負けないですからね」(同誌より)と、当時を振り返っています。

 今でも連絡を取り合うという2人。当人同士も日本代表での共演を願っているのではないでしょうか。4年後のW杯では32歳と、年齢的には厳しいものの、ダブル司令塔で戦うチームを夢見ているファンも少なくありません。同じ誕生日で同じ左利き、彼らが同時にピッチに立った時、今ならどんなプレーが見られるのでしょうか。想像するだけでも楽しくなってきます。

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