母子寮前
- 『母子寮前』
- 小谷野 敦
- 文藝春秋
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ベストセラー『もてない男』(筑摩書房)で名をはせ、2007年には『悲望』(幻冬舎)で作家デビューも果たした比較文学者の小谷野敦。そんな小谷野が、私小説『母子寮前』(文藝春秋)で第144回芥川賞に初ノミネートされました。
物語は、末期がんに侵され、命を絶たれた母とその家族を描いたもの。病魔に襲われた母の変化、最愛の人を亡くす息子のつらさ、病院、医師への不信感など、いわゆる闘病記にある要素が加えられ、本書を特徴的にしています。それは、父への「憎しみ」。
高卒で仕事以外に興味がなく、不器用な父。東大に行った"出来のいい息子"(作者の反映)に対しては、対等に話をすることはおろか、子供っぽい態度で接しています。息子はそんな父のありように理解を示しながらも、苦手意識を抱いていました。しかし、定年後にてんかんを患い、寝転がってテレビを見るだけの毎日を送る父は、徐々に無気力な人間になってしまいます。遂には、母ががんになってもその態度を変えず、何もしようとしない父に、息子は強い憎しみを感じるようになるのです。
物語の後半、タイトルである「母子寮前」という言葉が登場します。これは都内に実在するバス停の名前で、母が最後に入院するホスピスの近くにあり、作者は「哀愁をそそる名」と表現しています。
母の手を煩わせ、自分と折り合いの悪い父。しかし、"母子寮"にはそんな父は存在しません。やがて母と息子は、父を「ヌエ(鵺)」という符丁で呼び合うように。その光景はまるで、二人が新たな絆を結んだかのようにも感じられます。
私小説である本書には、ドラマのような父との劇的な和解などは訪れません。しかし、小説全体がきわめて淡々と語られているために、誰にも不可避な「家族の死」という問題を、かえって深く考えさせられる内容となっています。