【映画惹句は、言葉のサラダ。】第11回 時代が変わる。ボンドも変わる。惹句も変わる。
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●007=ジェームズ・ボンド・シリーズは
ハリウッド映画じゃねえっ!!
もう何年か前のことだけど、某ライターの書いた『007/慰めの報酬』についての文章を読んで、あきれたことがある。映画の中の派手なシーンを誉め称えているのだが、そのフレーズが「これぞハリウッド映画の心意気!!」って・・・あのさあ、007=ジェームズ・ボンド・シリーズはハリウッド映画ではなく、イギリス映画(資本的にはイギリス=アメリカ合作という扱いになっているが)。1961年に製作・公開された『007は殺しの番号(リバイバル時『007/ドクター・ノオ』と改題)』以来、ずっとボンドはイギリスの諜報機関に所属するスパイで、女王陛下の忠実なる僕。その設定は、今年正月に公開された最新作『スペクター』まで変わらない。
ただまあ、アクションの派手さを指してハリウッド映画と間違えてしまうのも、うなずけないこともない。現在ボンドを演じているダニエル・クレイグの前任者であるピアース・ブロスナンが主演したボンド・シリーズは、明らかにハリウッド映画的なルックスで売っていたから。例えば1995年12月に日本公開されたブロスナン=ボンドの第1作「ゴールデンアイ」の、日本での宣伝用惹句はこういうものだった。
「全米No.1大ヒット! シリーズ新記録達成!!」
・・・もう、苦笑するばかり。当時における、典型的なハリウッド映画の売り方。イギリス映画であるにも関わらず、アメリカで大ヒットしたことを誇示するという、このハリウッド映画絶対主義的な宣伝。今見ると、恥ずかしくてたまらない。確かに当時は、まだこういう惹句が幅をきかせていたとはいえ、工夫の跡も何もない、単に物量と実績だけで勝負しようという姿勢は、あまりと言えばあんまりだ。
そのピアース・ブロスナン主演のボンド・シリーズは以後「トゥモロー・ネバー・ダイ」「ワールド・イズ・ノット・イナフ」「ダイ・アナザー・デイ」と続くものの、ハリウッドナイズされた内容が、従来シリーズの持ち味だった大人っぽさやストーリーの面白さを感じさせなくなり、我が国での興行成績もパッとしなかった。
●ダニエル・クレイグのボンドは、大人の魅力。
そして2006年12月。老け顔の、というかアダルティな魅力のダニエル・クレイグを新たにボンド役に迎えた007シリーズは、ブロスナン時代とは逆に、イギリス映画のダンディズムを前面に押し出し、並み居るハリウッド映画との差別化を試みる。新しい製作体制、新しい配給会社、新しいボンドのお披露目になったのが、イアン・フレミングの書いたボンド・シリーズ第1作で、これまで複雑な経緯があって007シリーズとして映画化出来なかった『カジノ・ロワイヤル』であるあたり、作り手たちの意気込みを感じさせる。そして日本での宣伝惹句も、ムード重視でクールなものに変わっていった。
「最初の任務は、自分の愛を殺すこと。」
この『カジノ・ロワイヤル』が全世界で大ヒットしたことから、クレイグ版ボンド第2弾として2009年に『慰めの報酬』を放つのだが、演出面の弱さの克服が課題となり、2012年の『スカイフォール』では、アカデミー賞受賞歴を持つサム・メンデスを監督に迎えることになる。そしてこの「スカイフォール」が質的にも評価され、興行的にも大ヒットしたことで、007シリーズは新しい黄金時代を迎えることになる。
そして2015年12月。宿敵スペクターとの対決を久々に描いた『007/スペクター』が公開される。この時の宣伝惹句は以下の通り。
「絶対最強の宿敵"スペクター"
ジェームズ・ボンドが最後の死闘に挑む−」
アクション大作ではあるものの、『ゴールデンアイ』の時のようにアメリカでの実績ばかりを誇示するわけでなく、はたまた過剰にムードを押し出して女性層に媚びるわけでもなく、映画のセールスポイントを簡潔にブレゼンしてみせるあたりは、55年を迎えるロング・シリーズとなったボンド映画が1作ごとに工夫を怠らないのと同様、その時代に応じた個性が感じられる。さて第24作目の惹句はどうなることだろう?
James Bond will return・・・。
(文/斉藤守彦)