ジェイン・オースティンの作品に顕著なイギリス的特質
『100分de名著』2017年7月号では、英国の作家ジェイン・オースティンの代表作『高慢と偏見』を取り上げています。指南役を務める京都大学大学院教授の廣野由美子(ひろの・ゆみこ)さんに、オースティン作品の特徴についてうかがいました。
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ジェイン・オースティンは、母国イギリスで最も親しまれている作家のひとりです。イギリスの中央銀行であるイングランド銀行の発表によると、今年9月に発行予定の新十ポンド紙幣には、オースティンの没後200年を記念して、彼女の肖像画が使用されるとのこと。かつて日本の千円札に夏目漱石(そうせき)の肖像が、そして現在の五千円札に樋口一葉(いちよう)の肖像が使われているように、イギリス人にとってオースティンは、まさに国民的作家と言える存在なのです。
オースティンが国民的作家と呼ばれる所以(ゆえん)は、彼女の小説が、いわゆるイギリス的特質が顕著な文学であるからでしょう。では、「イギリス的特質」とは何でしょうか。それは、人間の性格の特徴や、日常における人間関係の洞察に重点を置き、対象から距離を隔てて客観的に、皮肉な笑いをこめて眺めるという風刺の精神があることだと思います。オースティンの作品は、まさにこのような精神で満ち溢れています。
今回取り上げるのは、オースティンの代表作『高慢と偏見』(原題Pride and Prejudice)です。最近では、映画やドラマ、それにさまざまな関連本の影響で、この小説に出会う読者も多いようです。代表的な六つの小説(『分別と多感』『高慢と偏見』『マンスフィールド・パーク』『エマ』『ノーサンガー・アビー』『説得』)はすべて映画化されていますが、なかでも、一九九五年にテレビ放映されたBBC制作のドラマシリーズ「高慢と偏見」は、イギリスで一大ブームを巻き起こしました。女主人公エリザベスと衝突しながら関係を深めていく大富豪の青年ダーシーを演じた男優コリン・ファースは、このドラマで人気が爆発。放送時間には街から人がいなくなったというエピソードもあるほどです。
そして、女主人公がこのドラマのファンである、という設定で人気を博したのが、小説『ブリジット・ジョーンズの日記』(1996年)です。イギリスの女性作家ヘレン・フィールディングによるロマンチック・コメディで、映画化(2001年)もされました。独身女性ブリジットがいくつかの恋愛経験を経て恋人を見つけるに至るというストーリーや、相手役の弁護士の名前がマーク・ダーシーであること、映画でその役を演じたのがコリン・ファースであることなどから、オースティンの『高慢と偏見』の翻案だということが直(ただ)ちにわかる作品です。
このように、現代においてもさまざまな形で親しまれ続けている本作品ですが、物語を読み解くうえでキーワードとなるのが、タイトルに掲げられた「高慢(Pride)と「偏見(Prejudice)」です。原題のpride は、邦題では「高慢」「自負」などと訳されていますが、pride という語にはほかにも、誇り、自尊心、満足感、得意な気持ち、自惚(うぬぼ)れ、思い上がり、などさまざまな意味があります。つまり、「高慢」は原義の一部にすぎず、pride にはプラス・マイナスの両義を含んだ多様な意味が込められているのです。
また、prejudice には、偏見、先入観、毛嫌い、偏愛、えこひいき、など、こちらも幅広い意味があります。道理のとおらない理由で人を嫌うことだけでなく、逆にえこひいきすることも、「偏見」の一種なのです。
さらに言うと、本編にしばしば出てくるvanity もキーワードのひとつです。ある辞書によれば、vanity の意味は“too much pride in yourself”(過剰なプライド)と定義されています。つまり、自惚れ、慢心、虚栄心といった意味です。
『高慢と偏見』は、プロットの形から、いわゆる「恋愛小説」として捉えられますが、同時にこの作品では、恋愛のプロセスに沿って、ことに中心人物たちの心理と行動が、実に克明に描かれています。恋愛とは、人生で遭遇する出来事のなかでも、とりわけものの見方が揺れ動いたり、歪(ゆが)んだりしやすい現象です。オースティンは、恋愛と、その結末としての結婚を題材として描くことをとおして、人間のものの見方の歪み——プライド、偏見、虚栄心など——を浮かび上がらせていると言えるでしょう。人間の本質というテーマを追求するには、恋愛という事象が格好の素材となるわけです。
『高慢と偏見』に登場する人物たちはみなそれぞれ、ものの見方や言動に際立った特徴があり、読者にとって忘れがたい、強烈な印象を残します。オースティンはそうした人物たちをユーモラスに描きつつ、一定の距離を置いて皮肉な目を向けることによって、「人間性とは何か」「人間の弱点とは何か」という、より広いテーマを提示しています。それこそが、この作品の大きな魅力であり、真価であると言えるでしょう。
女主人公エリザベス、大金持ちの紳士ダーシー、そして、彼らを取り巻く家族や友人たちなどさまざまな登場人物たちは、いかに、そしてなぜ、ものの見方が歪んでしまうのか。果たして、彼らはその「歪み」を克服することができるのか。今回は、登場人物たちの会話や心理をじっくり読み解きながら、オースティンが恋愛をとおして描こうとした人間の真の姿に迫ってみたいと思います。
■『NHK100分de名著 ジェイン・オースティン 高慢と偏見』より
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ジェイン・オースティンは、母国イギリスで最も親しまれている作家のひとりです。イギリスの中央銀行であるイングランド銀行の発表によると、今年9月に発行予定の新十ポンド紙幣には、オースティンの没後200年を記念して、彼女の肖像画が使用されるとのこと。かつて日本の千円札に夏目漱石(そうせき)の肖像が、そして現在の五千円札に樋口一葉(いちよう)の肖像が使われているように、イギリス人にとってオースティンは、まさに国民的作家と言える存在なのです。
オースティンが国民的作家と呼ばれる所以(ゆえん)は、彼女の小説が、いわゆるイギリス的特質が顕著な文学であるからでしょう。では、「イギリス的特質」とは何でしょうか。それは、人間の性格の特徴や、日常における人間関係の洞察に重点を置き、対象から距離を隔てて客観的に、皮肉な笑いをこめて眺めるという風刺の精神があることだと思います。オースティンの作品は、まさにこのような精神で満ち溢れています。
今回取り上げるのは、オースティンの代表作『高慢と偏見』(原題Pride and Prejudice)です。最近では、映画やドラマ、それにさまざまな関連本の影響で、この小説に出会う読者も多いようです。代表的な六つの小説(『分別と多感』『高慢と偏見』『マンスフィールド・パーク』『エマ』『ノーサンガー・アビー』『説得』)はすべて映画化されていますが、なかでも、一九九五年にテレビ放映されたBBC制作のドラマシリーズ「高慢と偏見」は、イギリスで一大ブームを巻き起こしました。女主人公エリザベスと衝突しながら関係を深めていく大富豪の青年ダーシーを演じた男優コリン・ファースは、このドラマで人気が爆発。放送時間には街から人がいなくなったというエピソードもあるほどです。
そして、女主人公がこのドラマのファンである、という設定で人気を博したのが、小説『ブリジット・ジョーンズの日記』(1996年)です。イギリスの女性作家ヘレン・フィールディングによるロマンチック・コメディで、映画化(2001年)もされました。独身女性ブリジットがいくつかの恋愛経験を経て恋人を見つけるに至るというストーリーや、相手役の弁護士の名前がマーク・ダーシーであること、映画でその役を演じたのがコリン・ファースであることなどから、オースティンの『高慢と偏見』の翻案だということが直(ただ)ちにわかる作品です。
このように、現代においてもさまざまな形で親しまれ続けている本作品ですが、物語を読み解くうえでキーワードとなるのが、タイトルに掲げられた「高慢(Pride)と「偏見(Prejudice)」です。原題のpride は、邦題では「高慢」「自負」などと訳されていますが、pride という語にはほかにも、誇り、自尊心、満足感、得意な気持ち、自惚(うぬぼ)れ、思い上がり、などさまざまな意味があります。つまり、「高慢」は原義の一部にすぎず、pride にはプラス・マイナスの両義を含んだ多様な意味が込められているのです。
また、prejudice には、偏見、先入観、毛嫌い、偏愛、えこひいき、など、こちらも幅広い意味があります。道理のとおらない理由で人を嫌うことだけでなく、逆にえこひいきすることも、「偏見」の一種なのです。
さらに言うと、本編にしばしば出てくるvanity もキーワードのひとつです。ある辞書によれば、vanity の意味は“too much pride in yourself”(過剰なプライド)と定義されています。つまり、自惚れ、慢心、虚栄心といった意味です。
『高慢と偏見』は、プロットの形から、いわゆる「恋愛小説」として捉えられますが、同時にこの作品では、恋愛のプロセスに沿って、ことに中心人物たちの心理と行動が、実に克明に描かれています。恋愛とは、人生で遭遇する出来事のなかでも、とりわけものの見方が揺れ動いたり、歪(ゆが)んだりしやすい現象です。オースティンは、恋愛と、その結末としての結婚を題材として描くことをとおして、人間のものの見方の歪み——プライド、偏見、虚栄心など——を浮かび上がらせていると言えるでしょう。人間の本質というテーマを追求するには、恋愛という事象が格好の素材となるわけです。
『高慢と偏見』に登場する人物たちはみなそれぞれ、ものの見方や言動に際立った特徴があり、読者にとって忘れがたい、強烈な印象を残します。オースティンはそうした人物たちをユーモラスに描きつつ、一定の距離を置いて皮肉な目を向けることによって、「人間性とは何か」「人間の弱点とは何か」という、より広いテーマを提示しています。それこそが、この作品の大きな魅力であり、真価であると言えるでしょう。
女主人公エリザベス、大金持ちの紳士ダーシー、そして、彼らを取り巻く家族や友人たちなどさまざまな登場人物たちは、いかに、そしてなぜ、ものの見方が歪んでしまうのか。果たして、彼らはその「歪み」を克服することができるのか。今回は、登場人物たちの会話や心理をじっくり読み解きながら、オースティンが恋愛をとおして描こうとした人間の真の姿に迫ってみたいと思います。
■『NHK100分de名著 ジェイン・オースティン 高慢と偏見』より
- 『ジェイン・オースティン『高慢と偏見』 2017年7月 (100分 de 名著)』
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