一匹狼・坂田先生、銀座を行く

イラスト:石井里果
『NHK 囲碁講座』の連載『趙治勲名誉名人のちょっといい碁の話』。2017年2月号では、7年前に逝去された坂田栄男(さかた・えいお)二十三世本因坊との思い出を綴ります。

* * *

今月は大御所の登場です。皆さんの中にもファンはたくさんいると思います。一時代を築いた、坂田栄男(二十三世本因坊栄寿)先生です。
先生はまさに一匹狼。群れをなすというのかな、そういうのを嫌っていました。来る者拒まずの姿勢で研究会を毎日のように開いていた秀行先生(藤沢名誉棋聖・10月号参照)とは正反対の棋士と言えるでしょう。
坂田先生と初めてお酒をご一緒したのは、もう数十年も前のことになります。対談か何かの仕事を終えたあと「チクン、銀座で飲んだことあるか?」と先生。
「とんでもないです! 銀座なんて恐れ多くて」とぼく。すると先生がこう言い放ったんです。
「男はな、銀座で飲まなきゃいけない。よし、ついて来い! 銀座での飲み方を教えてやるっ」
そのまま銀座へ連れていかれました。高級クラブでした。坂田先生は常連だったらしく、店に入るとすぐに女の子が両脇に。ちゃっかり手なんか握っちゃってね。棋風と一緒で足早だなあって思ったものです。ぼくは緊張しちゃって、ただただ、きれいな女の子たちを眺めているだけでした。
お酒が回ってくると坂田先生はじょう舌になりました。女の子たちに向かって「こいつのこと分かるか。趙治勲といって、必ずモノになる。仲よくしておいたほうがいいぞ」って(笑)。
まあまあ楽しいお酒だったんですが、よく見ると女の子たちの顔が引きつっていてね。ほら、坂田先生は一匹狼だから、こういうところでも、何て言うか、思うがままにふるまうんですよ。天下の坂田が来てやったんだぞっていう雰囲気が漂っていたんだろうね。でも店にとっては上客だから(笑)。
さあ、ここからが本題です。楽しい時間を清算するときがきました。実は入店する前、先生から10万円をもらっていたのです。「いいかチクン、帰るときにはお前がこれで払え」と。そのうえ、帰り際には店のママさんに「こいつは有望だから先行投資する一手。安くしときなよ」と言ってくれて。
いい話でしょ? かっこいいよね。日本棋院でこの話をしたら、みんな驚いたのなんの。坂田先生は人におごったりおごられたりを一切しないことで知られていたんだって。どうも、ぼくが初めてだったみたいです。
ただし、これは勘違いでした。翌月、棋士にも一応月給みたいなのがあるんだけど、それを受け取りに行ったの。そしたら驚きましたよ! 明細に「坂田栄男・10万円」とあってね。10万円、きっちり引かれていました。これは本当の話です(笑)。
あの日、銀座では3軒連れていってもらいました。後日ですが、ぼくが一人で銀座に行っていたら10万円じゃとても足りないと、誰だったかに教えられました。ぼくが実際に支払ったのは3軒で約6万円。さすがに天下の坂田だって思ったね。先生のひと言でこんなに安くなったんだから。
坂田先生は2010年の10月に90年の生涯を閉じました。亡くなる前、20分くらい奥様に向かって手を振り続けたと聞いています。死期は分かるものなのかなあって思います。奥様は連日の付き添い、看病で疲れて寝ちゃったんだって。で、起きたらすでに亡くなっていたそうです。まあ、一匹狼らしい最期だったんじゃないかな。
ぼくはそんなつもりはなかったんだけど(笑)、うちのカミさんがお世話になったからと、命日には残された奥様のもとへ花を送っていたみたい。それを喜んでくれてね。何かこう、一匹狼の坂田先生がもたらしてくれた縁というのかな。そんなのを温かく感じていました。そのあと、今度はうちのカミさんが死んじゃったら、奥様からお花を頂いて。今は娘が奥様との交流を受け継いでいるみたいです。
坂田先生はどんなふうに思っているだろうね。喜んでいるかなあ。
■『NHK囲碁講座』2017年2月号より

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