近代文学の突き抜けた天才、宮沢賢治

2017年3月の『100分de名著』では、「宮沢賢治スペシャル」と題し、彼の残した作品を数多く取り上げています。指南役を務める日本大学芸術学部教授の山下聖美(やました・きよみ)さんは、宮沢賢治を近代文学における、ただ一人の「突き抜けた天才」と評します。

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今、文学の不人気が叫ばれています。
「文学なんかやって何になるの?」
「就職に不利なんじゃない?」
私の教え子の中にも、文学を専攻したいと言ったら親に反対されたという学生が少なからずいます。なかなか心に余裕のない時代になってきたなと感じます。
確かに、文学や芸術は勉強したところで頭がよくなるものではありませんし、体が丈夫になるわけでもない。ましてや出世や金儲けに役立つものでもありません。
では、そうであるにもかかわらず、なぜ昔から今日まで文学がずっと存在し続けているのか。
それは、文学が人間の心の問題、魂の問題に直結するものだからです。
人間は、役に立つことだけでなく無駄なこともやりたくなります。実際にやってしまっては法律で裁かれるようなこと、現世では決して許されないようなことも、実はやりたくなるのが人間です。取り返しのつかない過去の行為についての後悔や、どうしてもできないことに対する葛藤(かっとう)もあるでしょう。そうした人間の心の居場所はどこにあるのか。それが文学です。文学とは、善も悪も清(せい)も濁(だく)も同時に存在する、大変豊穣な世界なのです。
こうした文学の本質を最もよく表しているのが、宮沢賢治(1896〜1933)という作家です。賢治は37年という短い生涯の中で、詩約八百篇、童話約百篇をはじめとする膨大な数の作品を生み出しました。
中でも特に親しまれているのは童話ですが、賢治の童話は決して児童文学の枠に収まるものではありません。
児童文学というと、子どもがそこから何か成長のための道徳的な教訓を得たり、または、得られるように読み方が決まっていたりするものですが、賢治の童話はまったく違います。怪しい異界が登場し、想像を超えた感性の世界が広がり、謎が謎を呼び、どこかに死の予感もある……。
賢治の童話は読者に、わかりやすい教訓というよりも、「わからなさ」の感覚を残します。だからこそ読者の想像力のスイッチが入り、小さな子どもから大人まで多くの人に読まれ続けているのでしょう。
私自身は、子どもの頃からの賢治ファンというわけではなく、本格的に読み始めたのは二十歳も過ぎた頃でした。そこで「銀河鉄道の夜」を読んだとき、「これほど有名で子どもも読んでいる作品なのに、こんなに『わからない』ってどういうことだろう」と思うようになり、そこから賢治研究にはまっていきました。
賢治作品の魅力は、いわゆる「めでたしめでたし」という終わりがないことです。そもそも未完のままであったり、決定稿が存在しない作品も多い。これは何だろう、なぜだろうと思う謎や疑問がいくつもあり、それを自分なりに解釈したくなる。解釈にとどまらず、賢治の作品から受け取ったインスピレーションを自分の創作のきっかけとするようなクリエイターも多い。繁殖力のある文学、と言ってもよいかもしれません。
文学は読者に一つの答えを与えるものではありません。むしろ、謎という大きな問いを放ちます。これを自分の感覚でキャッチし、自分の経験と照らし合わせながら考えることで、読む人それぞれの解釈が可能になります。岩手の花巻から宇宙的な時間を見据えていた賢治の作品は特に、その可能性のスケールが広大です。
近代文学の世界に秀才と呼べる人はたくさんいます。夏目漱石や森鷗外など、その作品は精緻(せいち)で本当に素晴らしいと思います。しかし、突き抜けた天才と言えるのはただ一人、宮沢賢治ではないでしょうか。今回の「100分de名著」では、天才・宮沢賢治の残した童話や詩を可能な限り多く取り上げながら、豊穣で謎多き賢治文学の世界に迫ってみたいと思います。
一度読んだことのある作品でも、再読すると必ず新たな発見があるのが賢治作品です。大人のみなさんも、ぜひ感性を解きほどいて、怪しげな魅力にあふれる賢治のテキストの、みなさん独自の解釈に挑戦してみてください。
■『NHK100分de名著 宮沢賢治スペシャル』より

NHKテキストVIEW

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