村山聖九段、在りし日のNHK杯
NHK杯の名勝負を、当時のテキストの誌面で振り返る「リバイバル NHK杯 伝説の名勝負」。12月号では、1992年に行われた第42回NHK杯 2回戦 第12局、内藤國雄(ないとう・くにお)九段 対 村山聖(むらやま・さとし)六段の戦いをお送りします。観戦記の執筆は、観戦記者の故・池崎和記さんです。(『NHK杯将棋講座』平成5年1月号より)
* * *
僕が村山六段と初めて会ったのは、彼が関西奨励会に入る前だった。奨励会入会は昭和58年12月だから、もう10年ほども前になる。
当時、僕はサラリーマンで、日曜日になると、よく関西将棋会館の道場に行っていた。四段の認定証をもらっていた。
ある日、僕の前に顔の丸い、色白の少年が座った。手合いカードを見ると「五段」とある。それが村山さんだった。中学1年か2年だったと思う。僕はボロボロに負かされた。
局後、少年は「仕掛けが無理だったんじゃないですか」と言い、素早くその局面に戻した。そして僕が読んでいない手順を示して、「こうやればまだ難しかったでしょう」
感想戦の手際の良さと、大人びた口ぶりに驚かされたが、指摘はまったくそのとおりなのでオジサンはウンウンとうなずくよりない。
後年、村山さんの師匠、森信雄六段にこの話をしたら、森さんは笑ってこう言った。
「村山君が弟子入りしてきたとき、早指しの将棋を指したんですよ。僕の必勝の将棋やったんだけど、終盤、王手がかかっているのをウッカリしてね。そのとき村山君、どうしたと思いますか。僕の玉をパッとつかんで、駒台に乗せたんですよ。なんちゅうやっちゃ、と思った」
■大きな夢
村山さんは異色の棋士である。
奨励会時代から“変わり者”で有名で、たとえば服装に無頓着(むとんちゃく)、髪やツメは伸ばし放題、風呂嫌い、少女漫画マニアと、およそ従来の棋士イメージとは異質の世俗離れした持ち味がたくさんあった。
それらが村山さんの異才を際立たせ、“神話”を作り出す要因にもなったが、最近は、やや俗っぽいというか、だんだんフツー人に近づいてきたような感じもある。
最近、彼は対局のない日でもスーツを着ていることがあるし、カメラを向けると、ニッコリ笑ってVサインを出したりもする。アルコールも飲むし(ただし師匠に隠れて)、ときに、酔ってケンカもしたりする。
しかし、まあ、私生活面の変化など、どうでもよい。
僕が村山さんを立派だと思うのは、彼がいつも上を向いて将棋を指していることだ。大きな夢(目標)を持っている。それは「名人になること」だ。奨励会に入る前からそうだったし、もちろん、いまもそうだ。
18歳で四段になったとき、彼は僕に「人生の最終目標を達成しました」と言い、20歳になったときは「うれしいです。20歳まで生きることができました」と言った。小学生のときから腎臓病の持病に苦しんでいて(現在も通院中)、それがそんな言葉を吐かせた。
自分は長く生きられない。だから早く上に行かないと……。おそらく彼はそう思っている。あせっている、と僕は思う。病弱の彼にとっては、一局一局の将棋に勝つことが、すなわち「生きる」ということだ。勝って、早く上に上がるしかないのである。
才能はある。努力家でもある。実際、彼は毎年よく勝っていて、棋士になってからの通算勝率は7割に近い。今期も竜王戦に本戦進出、王将リーグ入りと大活躍している。順位戦は5勝1敗で、有力な昇級候補の一人。
■金五詰め
内藤九段が第4回ペンクラブ大賞を受賞した。神戸組の生みの親である、故・藤内金吾八段との十数年間にわたる交流を描いた50枚の力作「我が師 藤内先生の想い出」(将棋世界掲載)が受賞作。
小学生時代に父親を亡くし、四段時代に母親を亡くした内藤九段にとって、藤内師は実の父親のような(いや、それ以上の)存在だった。「我が師──」には、その内藤師との心温まるエピソードが、いくつも出てくる。師は弟子思いだったが、弟子もまた師匠思いだった、というのがよくわかる。
九段は原稿を書きながら、涙が止まらなかったのではないか……。僕は受賞作を読みながら、ふっとそう思った。
受賞式は東京で行われた。2次会のとき、愛棋家の山本直純さんが「先生、詰将棋をつくってくださいよ。と金が入っててもいいですから金が5枚あるのを。金吾(きんご)詰めですよ」
藤内師の名前にひっかけて、キンゴ詰め。九段はすでに酔いがまわっていたが、とてもうれしそうな顔をして「金五とは思いつかなかった。つくりましょう」と言い、その場で本当につくってしまった。
創作時間は約10分。図面は忘れたけれど、27手か29手のかなり難しい詰将棋で、もちろん僕には解けなかった。同席していた森六段が、その場で作品の検討を引き受け、「大丈夫です。余詰めはありません」と言った。
内藤九段のヒネリ飛車。
1図で▲8五同桂は△9九角成。▲同飛も△同飛▲同桂△9九角成で、先手が悪い。
▲3六飛は、もし△3三金なら▲8六歩と合わせるねらい。「これでも一局」(森けい二九段)だが、本譜、村山六段は3四の歩を取らせて9筋から反撃する順を選んだ。強気。
▲7四歩を△同歩と取ったのは疑問。△6二金▲6四角△7四銀(A図)と辛抱するところだったらしい(内藤九段の話)。
※終局までの観戦記と棋譜はテキストに掲載しています。
■『NHK将棋講座』2016年12月号より
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僕が村山六段と初めて会ったのは、彼が関西奨励会に入る前だった。奨励会入会は昭和58年12月だから、もう10年ほども前になる。
当時、僕はサラリーマンで、日曜日になると、よく関西将棋会館の道場に行っていた。四段の認定証をもらっていた。
ある日、僕の前に顔の丸い、色白の少年が座った。手合いカードを見ると「五段」とある。それが村山さんだった。中学1年か2年だったと思う。僕はボロボロに負かされた。
局後、少年は「仕掛けが無理だったんじゃないですか」と言い、素早くその局面に戻した。そして僕が読んでいない手順を示して、「こうやればまだ難しかったでしょう」
感想戦の手際の良さと、大人びた口ぶりに驚かされたが、指摘はまったくそのとおりなのでオジサンはウンウンとうなずくよりない。
後年、村山さんの師匠、森信雄六段にこの話をしたら、森さんは笑ってこう言った。
「村山君が弟子入りしてきたとき、早指しの将棋を指したんですよ。僕の必勝の将棋やったんだけど、終盤、王手がかかっているのをウッカリしてね。そのとき村山君、どうしたと思いますか。僕の玉をパッとつかんで、駒台に乗せたんですよ。なんちゅうやっちゃ、と思った」
■大きな夢
村山さんは異色の棋士である。
奨励会時代から“変わり者”で有名で、たとえば服装に無頓着(むとんちゃく)、髪やツメは伸ばし放題、風呂嫌い、少女漫画マニアと、およそ従来の棋士イメージとは異質の世俗離れした持ち味がたくさんあった。
それらが村山さんの異才を際立たせ、“神話”を作り出す要因にもなったが、最近は、やや俗っぽいというか、だんだんフツー人に近づいてきたような感じもある。
最近、彼は対局のない日でもスーツを着ていることがあるし、カメラを向けると、ニッコリ笑ってVサインを出したりもする。アルコールも飲むし(ただし師匠に隠れて)、ときに、酔ってケンカもしたりする。
しかし、まあ、私生活面の変化など、どうでもよい。
僕が村山さんを立派だと思うのは、彼がいつも上を向いて将棋を指していることだ。大きな夢(目標)を持っている。それは「名人になること」だ。奨励会に入る前からそうだったし、もちろん、いまもそうだ。
18歳で四段になったとき、彼は僕に「人生の最終目標を達成しました」と言い、20歳になったときは「うれしいです。20歳まで生きることができました」と言った。小学生のときから腎臓病の持病に苦しんでいて(現在も通院中)、それがそんな言葉を吐かせた。
自分は長く生きられない。だから早く上に行かないと……。おそらく彼はそう思っている。あせっている、と僕は思う。病弱の彼にとっては、一局一局の将棋に勝つことが、すなわち「生きる」ということだ。勝って、早く上に上がるしかないのである。
才能はある。努力家でもある。実際、彼は毎年よく勝っていて、棋士になってからの通算勝率は7割に近い。今期も竜王戦に本戦進出、王将リーグ入りと大活躍している。順位戦は5勝1敗で、有力な昇級候補の一人。
■金五詰め
内藤九段が第4回ペンクラブ大賞を受賞した。神戸組の生みの親である、故・藤内金吾八段との十数年間にわたる交流を描いた50枚の力作「我が師 藤内先生の想い出」(将棋世界掲載)が受賞作。
小学生時代に父親を亡くし、四段時代に母親を亡くした内藤九段にとって、藤内師は実の父親のような(いや、それ以上の)存在だった。「我が師──」には、その内藤師との心温まるエピソードが、いくつも出てくる。師は弟子思いだったが、弟子もまた師匠思いだった、というのがよくわかる。
九段は原稿を書きながら、涙が止まらなかったのではないか……。僕は受賞作を読みながら、ふっとそう思った。
受賞式は東京で行われた。2次会のとき、愛棋家の山本直純さんが「先生、詰将棋をつくってくださいよ。と金が入っててもいいですから金が5枚あるのを。金吾(きんご)詰めですよ」
藤内師の名前にひっかけて、キンゴ詰め。九段はすでに酔いがまわっていたが、とてもうれしそうな顔をして「金五とは思いつかなかった。つくりましょう」と言い、その場で本当につくってしまった。
創作時間は約10分。図面は忘れたけれど、27手か29手のかなり難しい詰将棋で、もちろん僕には解けなかった。同席していた森六段が、その場で作品の検討を引き受け、「大丈夫です。余詰めはありません」と言った。
内藤九段のヒネリ飛車。
1図で▲8五同桂は△9九角成。▲同飛も△同飛▲同桂△9九角成で、先手が悪い。
▲3六飛は、もし△3三金なら▲8六歩と合わせるねらい。「これでも一局」(森けい二九段)だが、本譜、村山六段は3四の歩を取らせて9筋から反撃する順を選んだ。強気。
▲7四歩を△同歩と取ったのは疑問。△6二金▲6四角△7四銀(A図)と辛抱するところだったらしい(内藤九段の話)。
※終局までの観戦記と棋譜はテキストに掲載しています。
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