「すごく弱くてびっくりした」──稲葉陽八段、自らを語る

写真:藤田浩司
今回登場するのは、豊島将之(とよしま・まさゆき)七段からバトンを受けた稲葉陽(いなば・あきら)八段。ライバルを尻目に順位戦A級へ昇級。まだ羽生善治(はぶ・よしはる)三冠と対局したことがないので、A級での初の対局を楽しみにしている。

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■強い人と指したい欲求の延長線上にあった

両親と3人兄弟の5人家族です。3歳上の聡がアマチュアで活躍していますが(昨年、第5期加古川青流戦でアマチュアとして史上初めて公式戦で優勝した)、さらに3歳上の兄がいます。長兄は将棋に興味を持つことがなく、今でもルールを知っているかなあ、という程度です。
父が将棋好きで、幼稚園のころにルールを覚えました。小学校2年生の夏休み、加古川将棋センターを知って父と兄(聡)とで出かけました。家では全然勝てなかったけれど、センターに行くと勝ったり負けたりするので楽しくなっていきました。
小3になってからは頻繁に通いました。父の仕事が終わってから車で連れていってもらって、閉店まで指していました。船江君(恒平五段)との出会いもそのころです。当時は学校が終わって家に帰ったら、盤に詰将棋がありました。
奨励会を目指そうと意識したことはあまりありません。同世代の強い人と指すのが楽しかったけど、船江君や兄たちが先に奨励会に入ってしまった。センターにも来ない。強い人と指したい欲求の延長線上に、奨励会があったと思います。
プロ棋士へのあこがれはありましたが、野球少年がプロ野球選手になりたいというのと同じようなものでした。
奨励会では5級に1年いたのが長かったですね。5級でも有段者に10秒将棋で勝っていたのですが、いかんせん持ち時間1時間が長くて、適応できなかった。力をためる時期だったと思います。
兄は自分が奨励会に入会して半年ほどしたころ、3級で退会しました。自分より強いときにやめて、兄が将棋をやめている間に実力で抜いてしまったので、勝負として抜いた実感はありません。1年ほどで兄は将棋を再開して、早速全国優勝していました。
奨励会に入る1年ほど前から5級のころまでは右四間飛車ばかりで、右四間で勝てなくなったのが転換期だったかもしれません。普通の急戦や居飛車穴熊を指すようになったのが5級時代です。
棋譜並べは昔からやっていましたが、このころから、公式戦で指されている将棋をまねることを始めました。棋士になって数年たち、師匠(井上慶太九段)や船江君たちと旅行に行ったとき突然、棋譜を返されました。奨励会時代に提出していた棋譜です。返されたついでに並べたらすごく弱くて、びっくりしました。
三段リーグでは1期目で5勝13敗だったのが本当に悔しかったし、これではまずいという危機感は抱きました。ただ5勝目は佐藤天彦さん(名人)に最終日に勝ったもので、佐藤さんは勝っていたら昇段していました。ここで勝てたのは自信になりました。
2期目は最終日に1勝すれば四段昇段という状況で、2連敗して昇段を逃しました。でもこのまま続けていたら上がれるとも思えました。そうは言っても悔しかったですね。気をつかわれるのがしんどかったですが、学校の友達が結果を知って「何やってるねん」と冷やかしてくれたので、楽になりました。
今は公式戦の持ち時間にも適応して、そこそこの成績が残せているかなと思っています。終盤戦が好きなので、終盤で競り合いにできればと思っています。
■『NHK将棋講座』2016年10月号より

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