昔は完璧を目指していた──豊島将之七段、自らを語る

写真:河井邦彦
今回登場するのは、豊島将之(とよしま・まさゆき)七段。棋士になってから数年間は完璧に指すことを目指していたと言います。ただ、現在のスタイルは少し変わってきたそうです。

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■昔は完璧を目指していた

関西に住んでますが、東京に行くことは多いです。もちろん、宿泊も伴います。体調管理ですか? 移動は少ないほうがいいですが、乗り物酔いはしないので大丈夫です。東京で週2回対局がつくこともあります。滞在中は次の対局の準備があるので,宿にこもりぎみになりますね。
皆さんが聞かれている「勝負師・研究者・芸術家」の割合を私も考えてみたのですが、勝負師が圧倒的に多いですね。一般的な勝負師のイメージとは異なりますが、勝ち負けにこだわってやっていますし、こだわらないといけないかなと思って対局しています。勝負師って、ギャンブルのイメージですよね。私の場合、イチかバチかの勝負や、対局中に相手の様子を見て指し手を変えるといったことはあまりしません。
性格は研究者タイプなのかもしれないですが、将棋を突き詰めてやっていくのは自分にとっては難しいです。難しすぎます。突き詰めていっても結局は分からないだろう、と思ってしまいますね。勝つために研究して、勝つために相手のことを分析しています。
芸術家の面はほとんどないです。でも数か月前、対局中に「この手順で詰ませたらきれいだな」と思っていたら、相手もその順を選んでくれたことはありました。二人の意思が一致して、きれいな手順で詰ますことができました。でも、そういうのは終盤で形勢がはっきりしてからです。序中盤でも「形がきれいだから」と指し手を選ぶことがありますが、「よく勝っている形」=「きれいな形」となっているだけで、芸術と言えるのか分からないですね。
勝負師の割合が大きいからといって、粘るタイプではありません。形勢がはっきりするまでは粘ろうとは思っていますが、実際に粘ることは少ないですね。ジリ貧になるなら、斬り合いを選ぶことが多いと思います。そのときの状況に応じて、逆転の可能性が高い手を選ぶようにしています。
いま思うと、棋士になってから数年間は完璧に指すことを目指していた気がします。昔は終盤に時間さえあれば誤ることはないと思っていたし、たとえ時間が残っていなくても相当やれると思っていました。終盤は誤らないという前提で、序中盤では1手ずつ、その手が正しいと確信できるまで検証していました。佐藤康光九段のように、1手ごとにしっかり考えて指していくのが理想でした。でもやっぱり棋士は勝たないといけないので、勝つ可能性の高いやり方を模索したら現在のやり方になりました。だいたいこれでいけるかなと見切って指すと言えばいいでしょうか。
経験が増えてきたので、それほど深く読まずに感覚で指しても、正解手から外れなくなってきたというのはありますかね。昔のスタイルを振り返ると、時間を費やしたからと言っていい手を見つけられるとは限らない。結局は考えても考えなくても、選ぶ手はそんなに変わらなかったんです。序盤から考えた結果、終盤に持ち時間が残っていなくて、大事なところで考えられなくなったこともありました。いまは平均的に時間を使おうと心がけています。中盤で分からない局面になってもそれなりにまとめ、自分で方針を打ち出し、それに沿って指して、多少悪手があってもぶれずに一局を指し切る、というところを磨いていきたいです。
■『NHK将棋講座』2016年9月号より

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