菅井竜也七段、岡山に生まれたから棋士になれた

写真:河井邦彦
今回登場するのは菅井竜也(すがい・たつや)七段。現在でも出身地である岡山市に在住しています。岡山に生まれたから棋士になれた、という興味深い話は本文でどうぞ。

 
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5歳のとき、父が将棋を始めたんです。子どものころは親がやっていることは興味を持つじゃないですか。ルールを教えてもらって、父とばかり指していました。いまは小学校高学年でも四段の子がごろごろいますが、僕は5歳から始めて小4でまだ初段くらいでした。教室の日しか指していなければそれでも順調でしょうけど、将棋が好きで、毎日将棋に触れていて初段ですから、遅いペースだったと思います。
住んでいるところは岡山市の中心部から離れていましたが、小4から倉敷市の大山名人記念館に通えることになりました。ほかにも地元の方が将棋クラブを作ってくれたり、強い人が集まるところに連れていってくれたりして、飛躍的に強くなりました。
正月に強豪を招いた大会が開かれていましたが、僕を鍛えるために始まったようなものです。いまは後援会の会員になっている方、記念館の方、ほかにもたくさんいるのですが、変わらず応援してくださっています。僕は何もしていないのに。もし自分が違う県に生まれていたら、将棋を覚える機会はあったとしても、プロにはなっていないでしょうね。とても恵まれた環境で育ててもらいました。
小5の夏、小学生倉敷王将戦で優勝して、その年に師匠(井上慶太九段)に手紙を書いて、弟子入りをお願いしました。師匠はびっくりしたそうです。接点がゼロでしたから。NHK杯の解説は面白いし、でも対局している表情は厳しい。そんな姿に憧れました。
1か月くらいして両親と師匠のご自宅に伺い、奥さんの作ったご飯をいただきました。そういうときって「緊張して味を覚えていない」と聞くけど、めちゃくちゃうまかったんです。特にから揚げ。ご飯がすぐになくなっちゃったけど「おかわりが欲しい」とはとても言えず、ご飯が残っているふりをして、から揚げだけを食べていました。
奨励会に合格したとき、師匠には「1年で2級まで上がりなさい。3級では勉強不足です」と言われました。2級までは1年で上がり、初段にもすぐ上がったのですが、初段で1年以上、上がれずにいました。
そのころに奨励会で反則負けをしたんです。先後同型で、自分が先手なのに相手が先手だと思い込んでしまった。チェスクロックのボタンを押し忘れていると思って、指してないのにボタンを押しちゃったんですよ。
師匠には「集中していない証拠。見込みがないのと一緒です」と言われました。グサッときましたね。確かにそのとおりだと。それから考え方が変わったのか、すぐに二段に上がりました。反則負けのおかげとまでは思わないけど、きっかけにはなりました。
初段で停滞しているころは、どよーんとしていました。抜かされていく焦りとか、地元の人に何を言われるのだろうとか。でも誰も何も言わず、変わらず応援してくださって、ほっとしました。
地元の方々は僕のことをずっと応援してくれています。小学生の僕に対する接し方と、いまの自分に対する接し方が何も変わっていない。いいときに応援して悪いときに知らんぷりをする人は、自分の知るかぎりでは岡山にはいません。だからプレッシャーもないですよ。ただ、お世話になった分を返すとしたら結果を残すことです。なんとかいい報告を届けたいとは思っています。
■『NHK将棋講座』2016年7月号より

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