敵の強みを消して勝つ──巌流島の戦いの真実

宮本武蔵(みやもと・むさし/1582〜1645)は自著『五輪書(ごりんのしょ)』の「火(か)の巻」で小さな火がたちまち大きく燃え広がるイメージによって、一人の剣術の戦い方の理論は、千人、万人の合戦にも応用できることを示しています。
武蔵は、勝つには勝つ道理があるとして、戦う場と敵をよく知って、自分が有利に戦えるように徹底して工夫しています。敵を崩すために、技でも心理戦でも仕掛けて、敵に崩れが見えた瞬間を間髪(かんぱつ)容(い)れずに勝つ。敵をよく知ることによって勝った勝負の典型が、武蔵の勝負の中で最も有名な、巌流の小次郎との戦いです。放送大学教授の魚住孝至(うおずみ・たかし)さんが解説します。

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武蔵と小次郎の戦いは、映画やテレビなどで繰り返し描かれていますが、これらはほぼ、吉川英治の小説『宮本武蔵』を翻案しています。この小説の元になったのは、江戸時代に書かれた『二天記』という武蔵の伝記です。伝記と言っても、当時の伝記作者は分からないところは想像でどんどん書いていましたから、『二天記』にはフィクションの部分も多く含まれています。
ここで、武蔵と小次郎との戦いにおける事実と虚構を分けながら、敵のことをよく研究し、戦う前に勝負に勝つという、武蔵の戦い方の特徴を探ってみたいと思います。
『二天記』では、武蔵と小次郎の勝負は、小倉藩の検使が立ち会った公式の試合だとされ、武蔵は勝負の刻限に大幅に遅れ、勝負の当日に舟の櫂を削って木刀にした旨が書かれています。しかし、事実は異なります。
まず、二人が勝負を行った関門海峡の無人島・舟島は当時長府藩領でしたから、小倉藩の検使が立ち会うということはあり得ません。実際は、藩の検使が立ち会った勝負ではなく、彼ら二人の私闘だったと思われます。また勝負の刻限に遅れたというのも、そんなに遅れたならば小次郎は、「武蔵は臆(おく)して来なかった」と宣して、戦わずに勝ちの名誉を得ることができます。武蔵はそんなことはしないでしょう。事実、小倉碑文(※)には、「両雄同時相会」(両者は同時に出会った)と書いてあります。
武蔵が戦う木刀を自作したというのは事実のようです。晩年、客分となった細川藩で、家老長岡寄之(よりゆき)から「小次郎を打った木刀はいかなるものであったか」と尋ねられた時に、武蔵が作って呈上したという木刀が遺されています。白樫を切り削ったもので、少し反りのある四尺二寸余り(一二六・八センチ)の長い木刀です。勝負の時の木刀そのものではありませんが、このようなもので戦ったであろうことは想像できます。
ではなぜ、武蔵は刀ではなく、木刀で勝負に臨んだのでしょうか。刀は二尺四寸が「定寸(じょうすん)」とされた当時、小次郎は常に相手よりも長い「三尺ノ白刃」で勝っていました。武蔵は、刀の長さが勝敗を決する分かれ目になると考えたのでしょう。相手の強みをいかに消すか──。小次郎の長い剣の強みを消し、敵の意表を突くために、小次郎よりも長い四尺余りの大木刀を作ったのだろうと考えられます。寄之に呈上した木刀は、バランスのよい作りです。振りやすさなどを考えて反りのある大木刀を削り、何度も振ってみて自らの手に合うように納得のいくまで調整をしたことでしょう。勝負の当日に舟の櫂を削って作ったというのは、当然ながら、フィクションです。こんな大木刀で打たれたら、手であれば骨折は必至でしょうし、頭であれば一撃で絶命したとしても不思議はありません。ですから、小次郎との勝負を真剣でやる必要はない。そのあたりも、武蔵は非常に柔軟かつ合理的に考えています。おそらく勝負の場でも、武蔵は小次郎に木刀の長さを見抜かれないように、肩の上か脇に構えて、相手が打ってくるや、一気に打って勝ったのではないか。実際、勝負は一撃で終わった、と碑文は伝えています。
武蔵は、勝負の前から相手を非常によく研究していました。若い頃に六十余度の実戦勝負で一度も負けなかったというのも、その都度、相手はどういう人か、どういう技を持っているか、どうやってその強みを消し、どうやって勝つか──とことん考え抜いて勝負に臨んだはずです。このように事実を掘り起こしてみると、武蔵の考え方がいっそうはっきりと見えてきます。
※1654年、武蔵の養子・伊織が現在の北九州市手向山(たむけやま)山頂に建てた宮本武蔵顕彰碑。漢文で千百余文字が刻まれている。この碑文全文は『本朝武芸小伝』(1716年刊)に収載されている。のちに書かれた伝記『武州玄信公伝来』『二天記』もこの碑文に拠っており、武蔵の基本的史料となっている。
■『NHK100分de名著 宮本武蔵 五輪書』より

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