溝上知親九段、内弟子時代に師匠に言われた「前を歩け」の意味

撮影:小松士郎
平成四天王(山下敬吾九段、高尾紳路九段、張栩九段、羽根直樹九段)と同世代で今やすっかり「リーグ戦の常連」としての地位を固めた感のある溝上知親(みぞかみ・ともちか)九段。その冷静沈着な読みと判断力は、入段当初から非常に評価が高かった。その期待にたがわず、新人王戦を筆頭とする若手棋戦で3度の優勝、3大リーグ在籍通算9期などの実績を積み重ねてきたが、ビッグタイトルには手が届いていないこともまた事実──誰よりも不本意に感じているのが本人であるに違いない。
小学校6年生での少年少女囲碁大会全国優勝直後からスタートした内弟子生活の思い出を聞いた。

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■単身上京し、内弟子に

少年少女大会は、同年代に山下兄弟(直紀、敬吾)とか高尾紳路さんとか、強い人がいて、5年生だった前年は、ベスト16止まりでした。でもそうした強い人たちがみんな院生になり、僕が優勝候補みたいに言われていたのです。だから「ひょっとして優勝できるのでは」と思って臨んだのですが、すごく印象に残っているのが、決勝戦のNHK解説が趙治勲先生だったことで、局後に褒めていただけたのです。優勝できてうれしかった(決勝の相手は佐々木毅=現六段)ことはもちろんですが、趙先生のことのほうがよく覚えているくらいです。
実はそれまでの何回か、少年少女大会で東京に出てきたときには、緑星囲碁学園で勉強をさせていただいていました。4年生くらいからだったでしょうか。それでこの6年生時の大会が終わったら、そのまま東京に残って緑星囲碁学園に住み込みでお世話になり、プロを目指すことが決まっていたのです。ですから少し変な言い方ですけど、東京に出てくるついでに少年少女大会に優勝してしまったような感覚がありました。「少し先が明るいかな」という気もしていたように思います。
故郷の長崎から上京するとき、一人で夜行列車に乗って出てきたのですが「これから何が起こるのか?」という、不安と期待が入り混じったような心境でした。まあ、まだ小学生だったので、よく分かっていなかったというのが本当のところなのでしょうが…。
また今になって分かるのですが、両親は大変な決断をしたのだなと思います。僕、一人っ子ですから…。特に母がかなり悲しんでいたというのは、あとになって聞きました。
東京に出てきてからは、緑星囲碁学園の菊池康郎先生のお宅に内弟子という形でお世話になりました。東京近辺に身内がいなかったことと、当時はまだ幕張研修センターができていなかったので、特例ということで…。
当時の緑星の顔ぶれは、いちばん上の先輩が青木兄妹(紳一九段、喜久代八段)で、加藤充志さん(九段)、秋山次郎さん(九段)、山下兄弟といった人たちでした。僕だけが内弟子で、他の人たちは通い弟子という形です。
僕の場合、通う時間がないというのは大きなプラスだったと思うのですが、いつも緑星にいるという環境はメリハリがないようにも感じていました。通いという形に憧れるというか、みんなは帰る家があって羨ましいなと…。でもまあ「自分はこういう環境なんだ」と割り切っていたようにも思えます。
菊池先生からは、あまり厳しいことを言われた記憶がありません。言葉ではなく態度で示すという育て方だったと思います。でもよく覚えているのは「前を歩け」と言われたことです。どうも僕は、いつも人の後ろを歩く癖があったようで、精神的にもそういった面があり、碁にもそうした一面が表れていたということなのでしょう。それで先生は「前を歩け」と言ってくださったのだと思いますし、僕は「人に付いていかず、自分で道を切り開け」という意味だと解釈しました。
■『NHK囲碁講座』連載「シリーズ棋士に聞く 破れざる棋士たち」2016年2月号より

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