西の宇宙流 苑田勇一九段が木谷道場で受けた刺激

撮影:小松士郎
西の宇宙流──苑田勇一(そのだ・ゆういち)九段が関西棋院のエースとして、タイトル戦線で活躍していた時期に付けられたニックネームである。これは本家本元の、名人や本因坊に君臨していた武宮正樹九段にあやかったものであることはご周知のとおりだが、苑田自身「石が外回りにいく棋風になったのは、武宮さんの碁に憧れていたから」だと言う。
まずはその「西の宇宙流」誕生秘話から。

* * *


■棋風転換で開眼

武宮さんが二段のときに、プロ十傑戦で橋本昌二先生(故人。関西棋院の大御所で、王座、十段などのタイトルを獲得)に勝った有名な碁があるじゃないですか。黒番で大模様をまとめ切ったすばらしい碁で…。あの碁が打たれたのが、僕が初段のときだったのです。あの碁には本当に刺激を受けましてね、武宮さんの外回りに石がいく感性に感動を覚えました。「自分もこんな碁が打ちたい」と思ったのが、その後の僕の棋風が外回りになったきっかけだったと思っています。
それまでの僕の碁は、特に中央志向というわけではありませんでした。あまり星にも打っていなかったくらいですから…。もともと基礎も何もない碁だったので、その日からすぐに外回りの碁を志しました。それで成績が出るかどうかは分からなかったけど、まあ「とにかくやってみよう」ということで…。
ところが、いきなり結果が出てしまったのですね。すぐに二段になってしまったのです。プロ入りした当時(16歳)はかなり弱かったので、棋風転換がうまくいったということになるのでしょうか。
その後、自分としては中だるみをした時期もありましたが、10年ほどで九段にまでなっているので、一応、いいペースで昇段できたのではないかとは思っています。

■木谷道場から刺激

三段くらいのとき、東京の木谷道場にお邪魔させていただく機会がありまして、月に十日くらい通わせていただくことになりました。
当時の木谷道場のメンバーというのがものすごく、いちばん上が加藤正夫さん(故人。名人、本因坊、王座、碁聖などタイトル獲得多数)で五段、もうリーグ戦に入っていました。そして小林光一さんや趙治勲さんなど。
加藤さんといえば、碁を打ってもらったことがありまして、1局目にたまたま僕が勝ってしまったのです。そうしたら機嫌が悪くなりましてね、2局目からは立て続けにボコボコにされてしまいました。さらに忘れられないのは、2局目に加藤さんが勝ったら、僕が勝った1局目の感想戦をやり出したことです。よほど悔しかったのでしょうね。それくらい、加藤さんという人は負けず嫌いでした。
また小林光一さんには、とてもお世話になりました。同年齢ということもあるのですが、木谷道場についていろいろ話してくれたり、碁に関してもさまざまなことを教えてくれました。月に十日くらいだったとはいえ、この木谷道場でお世話になったことが、僕にとってはこれ以上ない勉強となり、刺激を受けました。若くて優秀な人たちが集まっていれば競争が激しくなっていい効果が生まれますし、加藤さんみたいな人が一人いれば、影響を受けてみんな強くなるものです。僕もその一人と言っていいかもしれません。
■『NHK囲碁講座』2016年1月号より

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