西郷隆盛──天の声に耳を澄ます

著述家内村鑑三(うちむら・かんぞう)の著作『代表的日本人』で、もっとも重要な、鍵となる言葉は「天」である──そう指摘するのは批評家の若松英輔(わかまつ・えいすけ)氏だ。西郷隆盛の生涯も、「天」の命に貫かれたものだと内村は説く。そんな内村の世界観を若松氏が紐解く。

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『代表的日本人』の最初の章に内村が選んだのは、西郷隆盛です。西郷といえば上野公園の犬を連れた姿の銅像を思い浮かべる人も多いでしょう。薩摩藩士で、江戸城の無血開城を実現させるなど、明治維新最大の指導者です。しかし明治の世になるとさまざまなところで明治政府と意見を異にし、ついには役職を辞して、鹿児島に帰り私塾を開きます。その後西南戦争に敗れて自刃したことは、よく知られています。西南戦争は、明治政府に対する、最大で最後の士族による反乱でした。
西南戦争が起こったのは1877年。内村が札幌農学校で、新渡戸稲造らと「イエスを信ずる者の契約」に署名したのは1877年で、西南戦争と同年です。そして、キリスト教の洗礼を受けたのはその翌年のことでした。内村は若く、西郷は晩年でしたから、年齢は離れていますが、内村にとって西郷は、歴史上の人物というよりも同時代の英雄だったのです。
しかしこの章を読んでみると、内村が西郷を同時代人であるとともに朽ちることのない歴史の世界、永遠の世界の者として語っていることがわかります。これは、とても重要なことです。たとえば、『新約聖書』の使徒パウロのような人物が永遠の世界にいる、と言われれば、私たちはふと、そうかと思うかもしれない。内村は、近い時代を生きた西郷のことも同じように永遠の世界の人として位置付けました。永遠と今が重なり合っているという内村の実感を私たちもまた感じてみようとすることが、西郷の章を読む上で大事なことのように思います。
永遠は常に「今」によみがえってくる、と内村は考えています。永遠は、けっして今と離れることがない。しかし、永遠といっても、なかなか捉えづらいかもしれません。永遠をめぐってはこれまでもさまざまな論議がありますが、ここではあまり難しく考えず、古びることのない、過ぎ行くことのない時空、と考えておいてよいと思います。
『代表的日本人』で、もっとも重要な、鍵となる言葉は「天」です。実は、この本の文章の主格自体が、人間を超えた力の主体である天、すなわち「ヘブン(Heaven)」なのです。西郷の生涯をたどる章なのに、西郷が主格ではなく、天が主格で、西郷はそれに付き従う、という構造になっています。
人間が何かをするのではなく、人間は無私になって天の道具になるのがもっとも美しい──そういう内村の世界観が、この構造に表れています。たとえば、この本の最初の章、それも冒頭の文章は次のように始まります。
日本が、「天」の命をうけ、はじめて青海原より姿を現したとき、「日の本よ、なんじの門のうちにとどまれ、召し出すまでは世界と交わるな」との「天」の指図がありました。(鈴木範久訳:以下同様)
ここでは「天」が、日本に命じています。主格はあくまでも天です。この天が何かの比喩だと思ってしまうと、この本のもつ力は、半減してしまうかもしれません。しかし、ここで、天とは何かを、厳密に定義しようとすることが求められているのでもありません。ただ、人間の意志を超えた働きが厳然と存在していることを見過ごさなければよいのだと思います。
天の命は、誰の生涯にも呼び掛けている。しかし人間は、自分の思いで頭も胸もいっぱいで天の声が聞こえない。そうしたとき、人はどうしたら天の声を聞き得るのかを主題に、西郷隆盛の物語は語られていきます。西郷の生涯は、「天の命」に貫かれている。そして天の声を聞くための人生の道行きとして、西郷は「敬天愛人」を説きます。
力で人を圧しない。人を自分の思い通りに使わない。この章では、他者のために自分を捧げる行為を繰り返すことで、天の命が西郷の生涯にまざまざと現れてくることが述べられています。
■『NHK100分de名著 内村鑑三 代表的日本人』より

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