佐藤天彦八段のNHK杯トーナメント──初戦の激闘を振り返る
- 左/稲葉 陽七段、右/佐藤天彦八段 撮影:河井邦彦
第65回NHK杯テレビ将棋トーナメントが開催されています。『NHK将棋講座』で「『貴族』天彦がゆく」を連載中の佐藤天彦(さとう・あまひこ)八段も1回戦第11局に登場しました。ご本人が対局の様子を臨場感溢れる筆致で振り返ります。
* * *
NHK杯トーナメント初戦、稲葉陽七段戦。後手番ながら積極的に仕掛け、難しい中盤戦のはずだった。しかし、終盤を迎えた現状の形勢はかなり悪い。
95手目、▲3三銀。確実に寄せの網を絞られている。どう粘るか。△3二歩は▲3一金で負けだ。他の手は? 秒読みの声が迫ってくる。分からない。
そうだ、△6四歩はどうだろう。とっさに閃ひらめく。玉の右袖をふわりと広げ、相手が攻めてきたら空けた6三に逃げ込む。
僕の△6四歩を見た相手は、それまでの緊張を少しほどき、落ち着いた空気を醸し出す。
なぜだ? 僕たちは今、激しい終盤戦を戦っている。確かにだいぶ苦しいが、勝敗が決したわけじゃない。僕はまだまだ、がんばるつもりなんだ。
落ち着いて指された▲6三歩。読んでいない手が来た。なんだろう、これは。取ると▲4二銀成、いや▲3二金だ。これは厳しい。じゃあ△3二歩? 3一金でも▲4二銀成でも▲6二歩成でも、どれでも駄目そうだ。
厳しすぎるじゃないか。あの落ち着いた雰囲気は、決め手を見つけたからだったのか…。
着手を促す声がする。何か指さなければいけない。△2一歩。
一瞬後、気がついた。▲3二金と打たれて、はっきり負けだ。
どうしてこうなってしまったのか。その原因は、おそらく“▲6七金”にある。
54手目。僕は△3四銀と細い攻めに援軍を送り、相手の手を待っていた。自信はないが、相手の指し方も難しい。そう思っていたときに指されたのが▲6七金だ。
驚いた。なぜなら、ただで9九の香が取れるからだ。疑心暗鬼になりながらも、僕はその香を手にする。時間もなかった。
そのうちに気がついた。はっきり悪くなっている。“▲6七金”から流れが変わり、そこから僕は細かいミスを重ねた。きっと、そういうことなのだろう。
98手目△2一歩に対し、▲1一馬。これならほんの少しの希望はあるかもしれない。僕は最後の反撃に出た。
102手目△6六桂に対し、▲同飛から決めに来られる。「それは危険なんじゃないか?」
勝負は、相手玉が詰むかどうかに託された。読みを進める。「やっぱり詰まないか」。そうじゃなきゃ、決めにこないよな。
そのとき、なぜか2九のと金に意識が行った。あのと金が働けばなあ。苦し紛れに作った、さみしいと金。
もう一度読み直す。あのと金に向かって追い込めないか。
少しして、気がついた。118手目△6八銀“不成”だ。これなら、2九のと金が生きて、相手玉の逃げ場をなくせる。実戦も、読み筋どおりに進んでゆく。…詰んでいるのだ。
▲6三歩に対する△2一歩。あの手を境に、流れが変わった気がする。まだ負けだったはずだが、形勢のよしあしではない、別のところで何かが変わったのだ。もしかすると、僕が▲6七金を指されたときと同じようなことが起こったのかもしれない。幸運。僕からすれば、そう言い表せる出来事だった。
※本局の棋譜と観戦記はテキストに掲載しています。
■『NHK将棋講座』2015年8月号より
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NHK杯トーナメント初戦、稲葉陽七段戦。後手番ながら積極的に仕掛け、難しい中盤戦のはずだった。しかし、終盤を迎えた現状の形勢はかなり悪い。
95手目、▲3三銀。確実に寄せの網を絞られている。どう粘るか。△3二歩は▲3一金で負けだ。他の手は? 秒読みの声が迫ってくる。分からない。
そうだ、△6四歩はどうだろう。とっさに閃ひらめく。玉の右袖をふわりと広げ、相手が攻めてきたら空けた6三に逃げ込む。
僕の△6四歩を見た相手は、それまでの緊張を少しほどき、落ち着いた空気を醸し出す。
なぜだ? 僕たちは今、激しい終盤戦を戦っている。確かにだいぶ苦しいが、勝敗が決したわけじゃない。僕はまだまだ、がんばるつもりなんだ。
落ち着いて指された▲6三歩。読んでいない手が来た。なんだろう、これは。取ると▲4二銀成、いや▲3二金だ。これは厳しい。じゃあ△3二歩? 3一金でも▲4二銀成でも▲6二歩成でも、どれでも駄目そうだ。
厳しすぎるじゃないか。あの落ち着いた雰囲気は、決め手を見つけたからだったのか…。
着手を促す声がする。何か指さなければいけない。△2一歩。
一瞬後、気がついた。▲3二金と打たれて、はっきり負けだ。
どうしてこうなってしまったのか。その原因は、おそらく“▲6七金”にある。
54手目。僕は△3四銀と細い攻めに援軍を送り、相手の手を待っていた。自信はないが、相手の指し方も難しい。そう思っていたときに指されたのが▲6七金だ。
驚いた。なぜなら、ただで9九の香が取れるからだ。疑心暗鬼になりながらも、僕はその香を手にする。時間もなかった。
そのうちに気がついた。はっきり悪くなっている。“▲6七金”から流れが変わり、そこから僕は細かいミスを重ねた。きっと、そういうことなのだろう。
98手目△2一歩に対し、▲1一馬。これならほんの少しの希望はあるかもしれない。僕は最後の反撃に出た。
102手目△6六桂に対し、▲同飛から決めに来られる。「それは危険なんじゃないか?」
勝負は、相手玉が詰むかどうかに託された。読みを進める。「やっぱり詰まないか」。そうじゃなきゃ、決めにこないよな。
そのとき、なぜか2九のと金に意識が行った。あのと金が働けばなあ。苦し紛れに作った、さみしいと金。
もう一度読み直す。あのと金に向かって追い込めないか。
少しして、気がついた。118手目△6八銀“不成”だ。これなら、2九のと金が生きて、相手玉の逃げ場をなくせる。実戦も、読み筋どおりに進んでゆく。…詰んでいるのだ。
▲6三歩に対する△2一歩。あの手を境に、流れが変わった気がする。まだ負けだったはずだが、形勢のよしあしではない、別のところで何かが変わったのだ。もしかすると、僕が▲6七金を指されたときと同じようなことが起こったのかもしれない。幸運。僕からすれば、そう言い表せる出来事だった。
※本局の棋譜と観戦記はテキストに掲載しています。
■『NHK将棋講座』2015年8月号より
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