囲碁界のロッキー・淡路修三九段の若手時代

撮影:小松士郎
「ロッキー」と言えば、1977年のアカデミー賞を受賞した映画のタイトルであり、シルベスター・スタローンが演じた主人公のボクサーの名前でもあるが、その名前をニックネームとして1980年代に大活躍を果たしたのが淡路修三(あわじ・しゅうぞう)九段である。
屈指のファイター、強打者として知られ、当時の覇者だった趙治勲の天敵としても名をはせた。ビッグタイトルにこそ手が届いていないが、昭和末期から平成初期の碁界を彩った花形棋士の一人であったことは間違いない。自身の若手時代を振り返ってもらった。

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■若手時代

碁を覚えたのは6歳のときで、建設会社に勤めていた父が打っているのを見ているうちに、自然と私も打てるようになっていました。
そして父の会社の縁で、すぐに伊藤友恵先生の元に連れていかれ、弟子ということになりました。まだ6歳でしたから、何も分からないうちに、プロを目指すということになっていたのです。両親が「何か手に職をつけさせたほうがいい」と判断したということを、のちになって聞きました。
院生での上達ぶりはまずまずだったのですが、同年代に加藤正夫さんや石田芳夫さん、武宮正樹さん、宮沢吾朗さん、趙治勲さん、小林光一さんら、木谷門下のとんでもなく強い人たちがいましたから、私が上のクラスに上がってこのグループと当たるようになってからは、かなり厳しい思いをしたものです。
入段できたのは18歳のときでした。入段できなければ院生を辞めないといけない年齢です。しかしこの年は入段枠が一つしかなく、しかも木谷門下の金島忠さん(九段=引退)がものすごく強いという評判だったので「自分はまた次点か」と思っていたのが正直なところでした。しかしなんとか頑張って、金島さんと同率に。本来なら同率決戦だったのですが、院生師範の先生の裁量で「二人とも入段でいい」ということになり、幸運な形でプロ入りすることができたのでした。
入段後はまずまず順調だったでしょうか。そこそこ勝つことができ、囲碁で食べることができていましたので。またよく遊びもしましたし、お酒もいい先輩がいましてね。でも今になって考えると、勝利への執念みたいなものは薄かったかな。何が何でも勝ちたいとは思っていなかったというか…。
そこに変化が表れたのが30歳になってからで、お酒友達でもあった後輩の片岡聡くんや小林覚くんたちと研究会を始めたのです。これがまあ私の囲碁人生の中で、最も大きな転換期となりました。
特に片岡くんなんて、私とは棋風が正反対と言っていいくらい違うので、考え方という点で本当に勉強になりました。「なるほど、碁ってこういうふうに勝つのか」と。覚くんからも得るものが多かったですし、このように他の人のいいところを勉強させていただいて、自分の碁にも幅が出てきたのだと思います。それで20代終わりから30代前半にかけて、現在の新人王戦のような位置づけだった首相杯や新鋭トーナメント戦で2回ずつ優勝することができました。若手棋戦とはいえタイトルというものには無縁だと思っていたので、優勝を懸けた勝負を戦えるというのはとてもうれしく、しかも勝つことができたのですから「棋士になって本当によかったなぁ」と思ったことを覚えています。
■『NHK囲碁講座』2015年8月号より

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