耳が受け止めた感動を言語化した八雲の想像力

小泉八雲が日本で最初に上梓した『日本の面影』では、見たものが非常に細かく、詳しく描写されている。しかしそれ以上に、耳で受け止めて記述した音や声の描写が印象的だ。早稲田大学教授・同国際言語文化研究所所長の池田雅之(いけだ・まさゆき)氏が、同書所収の「神々の国の首都」からその一例を探る。

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「神々の国の首都」では、さまざまな「音」に聞きいる八雲の描写が続きます。「禅宗の洞光寺(とうこうじ)の大きな梵鐘(ぼんしょう)の音が、ゴーンと町中に響きわたる。すると今度は、わが家に近い材木町にある地蔵堂から、朝の勤行(ごんぎょう)を知らせるもの悲しい太鼓の響きが聞こえてくる」とあり、鐘の音に太鼓の響きが加わります。最後に八雲の耳に入ってくるのは、物売りの声です。
そしていちばん後に、朝早い物売りの掛け声が始まる。「大根(だいこ)やい、蕪(かぶ)や蕪」と、大根などのほかに見慣れない野菜を売り歩く声とか、炭に火をおこすための細い薪の束を売る「もやや、もや」という、女の哀調を帯びた声などが聞こえてくるのである。
一日の暮らしの始まりを告げる音や声にうながされて、八雲は窓を開け、眼下に広がる松江の大橋川を眺めます。そこでも八雲は、ある音に耳を止めます。それは、川岸にいる人々が柏手(かしわで)を打つ音でした。
彼らは顔を太陽の方へ向け、柏手を四度打ってから拝んでいる。長くて高い白い橋からも、同じように柏手を打つ音が聞こえてくる。また、新月のように反り上がった、軽やかな美しい船からも、あちらこちらから木霊(こだま)のように柏手の音が響き合っている。その風変わりな船の上では、手足をむき出しにした漁師が立ったまま、黄金色の東の空に向かって首(こうべ)を垂れている。
 
柏手の音はどんどん増えていき、しまいには一斉に鳴り響く鋭い音が、ほとんどひっきりなしに続いて聞こえる。町人はみな、お日様、つまり光の女神であられる天照大御神(あまてらすおおみかみ)を拝んでいるのである。
そして八雲は、「太陽の方角にしか柏手を打たない人もいるが、多くの人は西の方角にある、日本最古の杵築(きづき)大社の方へも向かって柏手を打つ。八百万(やおよろず)の神名を唱えながら、あらゆる方角に頭を下げる人も少なくない」と続け、神々の国の首都・松江の町と、そこに暮らす人々の信仰のありようを鮮やかに描きだしています。ちなみに四柏手は、出雲大社の柏手の打ち方で、普通は二柏手のところが多い。八雲は柏手の回数も、正確に記述していることになります。
八雲の耳は、このようにたくさんの音や声を聞き取り、それらを独特の聴覚的想像力を発揮して言語化しています。うぐいすの鳴く声があたかも法華経を唱えているようだと書いているのも、ご愛嬌です。また、大橋川を渡る人たちの下駄の音を、まるで西洋の舞踏会のようだとも記しています。普通の日本人には、おそらく雑音としか聞こえないでしょう。下駄の音を聞いて音楽的だと思う人が果たしているかどうか怪しいですが、八雲の耳にかかると、音楽のように美しく聞こえるから不思議です。
八雲の聴力は、どんな小さな音でも聞き取れるという意味での聴力ではありません。自分にとって、共感的であったり、生活の哀感がともなっていたりする音を聞くと、そこに一種の情動が働くわけです。そして、その音や声がいったん自分の脳や身体に取り込まれ、さらに言語化されて表現として出てくる──それを私は「聴覚の技化」といってみたいわけですが、この音声の言語化は、八雲独特の想像力の発現だろうと思います。
■『NHK100分de名著 小泉八雲 日本の面影』より

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