事実を歌に詠うということ

歌人の斉藤斎藤(さいとう・さいとう)さんがテキスト『NHK短歌』で連載中の「初心者になるための短歌入門」。1月号の同連載で斉藤さんは「事実を曲げることで、一首のクオリティが劇的に上がるのであれば、もちろんそうしたほうがいい。ただ、大して変わり映えしないのであれば、実際の事実という偶然的要素を取り入れるほうが、一首のクオリティは落ちても連作や歌集のバラエティは豊かになり、全体としてはプラスになるのです」と綴っています。3月号では事実を歌に取り入れることについて、さらに踏み込んで解説します。

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■価値を引っくり返さない

2番ホームの屋根の終わりに落ちている漫画ゴラクに降りそそぐ雨

斉藤斎藤『渡辺のわたし』


十年以上前につくった歌です。今ではかなり雰囲気が変わりましたが、当時の『漫画ゴラク』はB級マンガ誌の代名詞で、ラーメン屋や理髪店によく置いてある、待ち時間に気楽に読めるような雑誌でした。
さて、筆者はこの歌を歌集に入れたことを、すこし後悔しています。いまの筆者には、いかにも頭の中で作られた(実際、頭で作った歌なのですが)、わざとらしい歌に見えるのです。
短歌でふつう雨が降りそそぐものと言えば、「薔薇の芽」とか「百房の葡萄」とか、自然のものが思いつきます。物干し竿とか電線とか、身の回りで見かける人工のものに雨を降らせることも、しばしばありますね。
で、この『漫画ゴラク』は、ちょっとやり過ぎな感じがします。自然のもの、ではなく、人間くさいもの。風流なもの、ではなく、通俗的なもの。短歌で「よい」とされていることを引っくり返そうとする、そんな手つきが透けて見えるのです。
ポジティブなものを、ネガティブなもので置き換えてはいけません。善を悪で、美を醜で置き換えること。それは常識的な価値観を引っくり返すどころか、〈善い/ふつう/悪い〉、〈美しい/ふつう/醜い〉といった〈ふつう〉の物差しを、ふかく受け入れることに他ならないからです。
頭で作った虚構の歌は、現実的な物差しを、かえって強化してしまうことがある。注意が必要です。
■『NHK短歌』2015年3月号より

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