「食べることは命をいただくこと」——家庭でできる、お寺のごはん流作法

イラスト:雉○
「お寺」×「ごはん」
これを見て真っ先に思い浮かべるのは、「精進料理」という言葉ではないでしょうか。精進料理という言葉には2つの意味があると曹洞宗八屋山普門寺 副住職の吉村昇洋(よしむら・しょうよう)さんは言います。1つは、修行に邁進する修行僧の体を支える料理であること。もう1つは、仏道修行の実践としてつくり、食べる料理であるということ。
禅の修行僧が従う食事作法の中から、日常にも取り入れられるエッセンスを吉村さんに教えていただきました。実践すれば、周りの人への感謝の気持ちが湧いてくるはずです。

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『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』は、典座(てんぞ/修行道場で食事をつかさどる役職)が調理した食事をいただく修行僧の心構えと、その実践方法が書かれた書物です。食事をいただく場所である僧堂への入り方から、箸の上げ下ろし、自前の食器の洗い方・しまい方まで、食事に関する作法が、事細かに書かれています。
これらをすべて実践するのは大変ですが、中には、私たちが普段の生活に取り入れられるものもあります。ここではそのエッセンスとして4つの作法を紹介しましょう。1つ目は、器や箸を持つときは必ず両手で扱うこと。こうすると、まず物を丁寧に扱うことになり、食べる姿が美しくなります。また、他の器に目移りして迷いをすることもなくなるので、いまこの瞬間に目の前にある食事としっかり向き合うことができます。2つ目は、かむ間は箸を置くこと。これも、口の中に食べ物があるときにはその感覚にしっかり意識を向けるということにつながります。3つ目は、食べるときには話をせず、なるべく音を立てないようにすること。これは1つ目にも通じていて、ながら食べをしないためにも大切なことです。4つ目は、食べ終わったら食器にお茶やお湯を注ぎ、1切れ残しておいた漬物などで食器をぬぐうこと。これは、洗い物に使う水の節約になり、またそのお茶も最後に飲み干すことで、料理として表現されたすべての命をいただききるという実践になります。
食事をいただく直前には、「五観(ごかん)の偈(げ)」と呼ばれる偈文(げもん)を唱えます。五観の偈は、料理を食べようとしている人に、さまざまな「反省」を促します。今目の前に運ばれてきた料理は、多くの人の手を通って初めてここに成立している一期一会の存在であることをきちんと認識しているか。あなたはその料理を食べるに値する徳行をふだんから積んでいるか――。そこには厳しい問いかけが含まれています。しかし、食事の前にこれらのことを思い返すことで、自分を支えてくれている他者への感謝や、命に対する畏敬の念、今の状況に対するありがたさが自然と湧いてくることでしょう。

■五観の偈

一 には功(こう)の多少(たしょう)を計(はか)り、彼(か)の来所(らいしょ)を量(はか)る
目の前の食べ物を生産した人々の苦労を思い、自分のもとへ運ばれてくるまでの経緯に思いを馳せましょう。多くの存在のつながりによって、今目の前に置かれた食事が成り立っていることを知ることが大切です
二 には己(おのれ)が徳行(とくぎょう)の全欠(ぜんけつ)を忖(はか)って供(く)に応(おう)ず
この料理を食べる資格が自分にあるのかどうか、自らの行いを振り返りましょう。「食べさせていただく」という謙虚な姿勢から感謝の念が生まれます
三 には心(しん)を防(ふせ)ぎ過(とが)を離(はな)るることは、貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす
修行とは、心の汚れを清めることであり、自分の中の貪りや怒り、愚かさと向き合うことが大切です
四 には正(まさ)に良薬(りょうやく)を事(こと)とするは、形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為(ため)なり
食べ物は痩せ衰えるのを治す良薬と位置づけていただきます
五 には成道(じょうどう)の為(ため)の故(ゆえ)に、今此食(いまこのじき)を受(う)く
仏と同じ悟りの実践として、この食事をいただきます
■『NHK趣味Do楽 いただきます お寺のごはん 〜心と体が潤うレシピ〜』より

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