それは「感性の舞台」──シェイクスピア演劇はどのように上演されていたのか

シェイクスピア時代のグローブ座は、1613年、『ヘンリー8世』を上演中に舞台で使った大砲の火が引火して焼失。翌年に再建されたが、1644年にピューリタン革命により取り壊された。写真は1997年に復元されたグローブ座
『ハムレット』は、1600年頃にイギリスで書かれてから、400年以上経ったいまもなお世界中で上演され続けている、シェイクスピア悲劇の最高峰である。シェイクスピアの時代に、芝居はどのように上演され、そして観られていたのか、東京大学大学院教授の河合祥一郎(かわい・しょういちろう)氏にうかがった。

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演劇というものはまず幕が開いて、客席が暗くなり、舞台に照明が当たって、というイメージがいまは一般的でしょう。しかしエリザベス朝当時では客席も舞台も明るいまま、太陽の光のもとで芝居をしていましたし、舞台に幕もありませんでした。
グローブ座は、三階建ての円形(二十角形)の劇場でした。舞台の前の地面が立ち見の平土間で、頭上は青天井です。雨が降ると平土間の客は濡れますが、平土間に張り出した舞台には屋根がついていました。平土間を取り囲む三階建ての回廊席にも屋根がありましたが、そこにすわるには追加料金が要りました。上演は大体夕方の6時くらいから始まり、8時か9時くらいまで。イギリスでは夏場は日が長いので9時頃まで明るいのです。ただし冬場は5時か6時頃から暗くなってしまうので上演できません。一座は巡業に回ったりします。またイギリスは雨が多くて、平土間の観客は困るだろうと思われるでしょうが、しとしと降る霧雨がほとんどなので、少しくらい濡れても構わないという文化的な習慣があります。もちろん土砂降りのときには、上演は中止です。屋根付きの室内劇場が初めて作られるのは1608年。そこでは蠟燭(ろうそく)の明かりのもと、芝居が上演されました。
幕の仕切りがなく、観客のただなかに役者が出てくるので、虚構世界と観客のいる空間とのあいだに境界がありませんでした。舞台装置もなく、衣裳をつけた役者が出てきて台詞を朗唱し所作をするだけです。二本の柱で屋根を支え張り出した舞台の形は能舞台と非常によく似ていますし、抑揚を整えた台詞の朗唱も日本の狂言に近いところがあります。ですから、シェイクスピアを知るためには、ぜひ狂言を観ることをお勧めします。
能や狂言で「翁(おきな)」や「三番叟(さんばそう)」を舞うときなど、役者が神の依(よ)り代(しろ)となります。その迫力が、能や狂言が今日まで続いている理由だと思います。おそらくシェイクスピアの芝居も、俳優が役を演じるというよりも、生身の人間としての役者がたとえばハムレットの依り代として舞台に登場するというのに近かったのではないでしょうか。一人の人間がもがき苦しみ、やがて悟りを得て死んでいくさまを、観客は現実に目の前で起こっている事件という感覚で観たのではないか、と思うのです。つまり、近代的な理性に囚われた見方ではないということです。
狂言では役者が「これから都へ参ろう」と言って舞台をぐるりとひとまわりし、「何かと言ううちに、はや、都じゃ」と言えば、もう舞台は都に移っています。それと同様に、舞台装置のない“なにもない空間”で言葉と衣裳だけで演じるシェイクスピアの役者たちも「ああ、アーデンの森に着いた」と言えば、そこはもうアーデンの森に舞台が替わるというわけです。これは近代演劇のリアリズムとは違います。
シェイクスピアの戯曲にはほとんどト書きがありません。人物の登退場以外はほぼ台詞ばかりなので、近代演劇の綿密なト書きに慣れた現代の俳優は、戸惑うことも多いようです。ただし翻訳によっては「エルシノア城。銃眼城壁のうえの狭い歩廊。左右は櫓(やぐら)に通じる戸口。星のきらめく寒い夜。見張りのフランシスコーが矛(ほこ)を手に……」云々といった詳細なト書きが入っていることもあって、これはかつて旧ケンブリッジ版『ハムレット』を編集したジョン・ドーヴァー・ウィルソンという人が、ご親切にも書き加えたものです。ウィルソンにとっての演劇はあくまでも近代演劇だったからです。
しかし、当時はそもそも役者に台本すら配らなかったのです。著作権のない時代ですから、金に困った役者が台本を別の劇団に売って、儲けようとしたら困るからです。ではどうやって稽古をしたのかといえば、役者ごとに台詞ときっかけだけを写した書き抜きを配りました。つまり役者は相手役の台詞も知らないし、通し稽古で初めて芝居の全貌を知るということになります。それぞれに自分の台詞だけが書かれた巻物(roll)を持って稽古したので、のちに役のことをロール(role)と呼ぶようになったというわけです。
シェイクスピアは劇団の役者として常に現場にいましたから、いちいちト書きを書かなくてもその場で段取りをつけられます。演出家は存在しないので、シェイクスピア本人か、あるいは一座の花形役者であるリチャード・バーベッジが仕切ったのだろうと言われています。歌舞伎の“ニン”(仁)ではありませんが、近代的な役作りをしなくても、道化方は道化役、女形(おんながた)は女役、荒事(あらごと)のできる立役(たちやく)は荒事をするというふうに決まっていました。また、女優がいないのも歌舞伎や狂言と同じです。オフィーリアのような若い女役は、おそらく十代前半の少年が演じたはずです。喜劇で男装する女性の役も、面白いことに男性である少年が元々演じているわけです。
エリザベス朝演劇の台詞は、基本的に韻文のリズム(韻律)に乗せて朗々と語られます。韻文とは、アクセントによって一行に一定のリズムがある文のことです。シェイクスピアの台詞は、弱・強のリズムが各行とも五回ずつ繰り返される“弱強五歩格”という形式が基本です。“A little more than kin, and less than kind”というリズムです(ハムレットの第一声、「叔父にして親父と、血縁関係は強まったが、情のつながりは弱まった」という意味)。だから幼い少年がたとえばオフィーリアが嘆く場面を演じても、朗唱する台詞の節回しさえ叩き込まれれば、韻文が自然に嘆き節になってくれるわけです。シェイクスピアは、ときおり散文(行ごとに一定のリズムが繰り返されない文)を混ぜて変化をつけながら、まるで楽譜のように台詞を書いたのです。
ところでシェイクスピアは晩年になってから、ロマンス劇と呼ばれる空想的な物語劇を書き始めます。『ペリクリーズ』『シンベリン』『冬物語』『テンペスト』といった作品です。
ロマンス劇では、必ず不思議な出来事や奇跡が起こります。その頃の演劇界では、かなり近代的な、リアリスティックで緻密(ちみつ)な劇が流行し始めていました。シェイクスピアはおそらくそれに反発して、奇想天外で、神々のお告げや魔法によって波瀾万丈の人生が描かれる、民話的・寓話的な劇を書きました。心の問題を描くには、近代的な理性によるリアリズムに拘泥(こうでい)してはいけないのだと、ロマンス劇によって対抗したのでしょう。ハムレットも、きわめて知的な人間であるにもかかわらず、最後は理性だけでは駄目なのだという境地に至りました。シェイクスピアは、実は一貫して反理性派だったのです。感性を失ったら、人間はおしまいだと思っていたにちがいありません。
■『NHK100分de名著 シェイクスピア ハムレット』より

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