『ハムレット』が内包する宗教問題

シェイクスピア時代のグローブ座は、1613年、『ヘンリー8世』を上演中に舞台で使った大砲の火が引火して焼失。翌年に再建されたが、1644年にピューリタン革命により取り壊された。写真は1997年に復元されたグローブ座
シェイクスピアの四大悲劇の一つ『ハムレット』。主人公の王子ハムレットは、敬愛する父を殺し、母と再婚して玉座に着いた叔父クローディアスへの復讐を誓うが、ことあるごとに逡巡し、計画は遅々として進まない。ここには、当時のイギリスに存在していた宗教問題が深く関係していると東京大学大学院教授の河合祥一郎(かわい・しょういちろう)氏は話す。

* * *

王子ハムレットは、死んだ父の亡霊から復讐を命じられますが、その復讐をためらう最初の原因は、そもそも亡霊が本物なのか、それともその正体は悪魔なのか、という疑問にあります。
ハムレット (……)俺が見た亡霊は
悪魔かもしれぬ。悪魔は相手の好む姿に身をやつして
現われる。そうとも、ひょっとして
俺が憂鬱になり、気弱になっているのにつけこんで
まんまと俺をたぶらかし、
地獄に追い落とそうという魂胆(こんたん)か。
もっと確かな証拠が欲しい。それには芝居だ。
芝居を打って、王の本心をつかまえてみせる。 (第二幕第二場)
実はここには、カトリックとプロテスタントという、当時の宗教問題が関係してきます。亡霊という存在を認めるのはカトリックだけで、プロテスタントでは死者の亡霊などというものは認めていません。プロテスタントの見方からすれば、これは悪魔が見せる幻影ということになります。つまりハムレットは、カトリックとプロテスタントのあいだで揺れているという解釈もできるのです。その歴史的背景を少しばかり見ておきましょう。
エリザベス1世の父ヘンリー8世はカトリックでしたが、なかなか王子に恵まれないので離婚して、6人の妃を次々に取り替えたことで有名です。しかしカトリックでは離婚は許されません。最初の王妃と別れようとしたとき、ローマ法王に許しを請いますが、すげなく断られます。法王と対立したヘンリーは1534年、カトリックを廃してイングランド国教会をイングランドの公的宗教に定めて、国ごとカトリックから離脱してしまいます。王が離婚したかったから国の宗教を変えてしまったという、冗談のような本当の話です。こうして、急速にプロテスタント勢力が台頭してきます。
ヘンリー8世の死後、幼い息子のエドワード6世はかなりプロテスタント寄りの治世を行いますが、次に姉のメアリ1世の治世になると、彼女は熱烈なカトリックの信者だったので、カトリック国のスペイン王と結婚してプロテスタント狩りをはじめます。プロテスタント大虐殺に由来する“ブラッディ・メアリ”(血なまぐさいメアリ)という呼び名は、真赤なトマトジュースとウォッカのカクテルの名前としていまも残っています。
ところが1558年、姉に代わって妹が即位してエリザベス1世になると、再びプロテスタントに戻り、今度は逆に厳しいカトリック狩りの時代になるのです。
シェイクスピアの父親ジョンは、敬虔(けいけん)なカトリックでした。一家の没落は、国教会に睨(にら)まれたことが原因ともいわれています。息子ウィリアムの人生に謎の空白期間があるのも、実はカトリックという出自からきているのではないかと、私は推理しています。
第一幕第五場で亡霊がハムレットに復讐を命じるときに、「終油の秘蹟(ひせき)も、懺悔(ざんげ)の暇(いとま)もなく」殺されたので、「赦(ゆる)しも受けず、この身に罪を負ったまま」死んだことが恐ろしい、と言います。つまりこれは、生前の罪をカトリックの儀式で清めて天国に行くことができなかったと嘆いているのです。
また、ハムレットが叔父の犯罪を確信したあとの第三幕第三場で、祭壇に跪(ひざまず)いて祈るクローディアスを殺そうと「今ならやれる」と剣を抜いたのに、ためらってやめてしまうのは、決して行動力がないからではなく、懺悔している最中のクローディアスを殺してしまうと、「この悪党を送ってやるのか、天国に」というキリスト教的な発想があるからです。
カトリックの文化が情熱的だとすると、プロテスタントは理性的で冷静です。それは熱情の中世と理性の近代という対比とも相似形です。理性的な男の代表として登場するハムレットの親友ホレイシオは、亡霊に会いに行こうとするハムレットに、「殿下の正気を奪い去り、狂気へ引きずり込もうというのかもしれません」(第一幕第四場)と警告します。ハムレットがあとで冷静になって、「悪魔は相手の好む姿に身をやつして現われる」(第二幕第二場)と言うのは、自分の想像力が歪められて、父の亡霊を見せられているのかもしれないと思うからです。
シェイクスピア別人説でも候補に挙がった哲学者フランシス・ベーコンをはじめとして、当時の認識論では、人は視覚による光学的な情報だけでなく、心による想像力の働きでものを見ると考えられていました。〈心像〉というものが頭の中でつくられ、それを脳が認識する。だから、正しい想像力が歪(ゆが)められてしまうと、間違ったものを見てしまう。そこから、〈真実を映し出す鏡〉としての芝居という発想も出てきます。
■『NHK100分de名著 シェイクスピア ハムレット』より

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