「選挙権」のありがたみと民主主義の素晴らしさを伝えたい――元・中国人が日本に帰化してまで政治家を志した理由

元・中国人、日本で政治家をめざす
『元・中国人、日本で政治家をめざす』
李 小牧
CCCメディアハウス
1,728円(税込)
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 今年4月の統一地方選で、メディアからも注目を集めたのが、元・中国人、李小牧(り・こまき)氏の新宿区議選への出馬です。

 1988年から27年間、新宿の不夜城・歌舞伎町に立ち続け「歌舞伎町案内人」として有名な李氏。日本語も歌舞伎町の「事情」もまったく分からない外国人客を優良店へ案内して、店側からバックチャージを得る「歌舞伎町案内人」のビジネスを確立した、李氏の危険と隣り合わせな日々は、『歌舞伎町案内人』(角川書店刊)でも描かれています。

 欲望が渦巻く裏街道に拠点を持っていた李氏が一転、政治という表舞台へ飛び込んだのはどんな事情があったのでしょうか?

 選挙戦を振り返った、同氏の近著『元・中国人、日本で政治家をめざす』によれば、2002年の『歌舞伎町案内人』出版を皮切りに、案内人のかたわら、執筆活動を開始し、2004年から週刊誌『ニューズウィーク日本版』で連載コラムをスタートさせたのが、そもそもの始まりでした。

 中国共産党による文化大革命で父が投獄され、一家で極貧生活を送った経験から、政治の世界からは距離を置くようにしていた李氏でしたが、日本で生活するうちに、中国人民主活動家や知識人とも交流を深め、中国に向けてさまざまな情報を発信していくなかで、日中友好のためには、政治や外交問題について言及することは、避けて通れないことに気が付きます。

 そして、2013年のコラムでは、「戦争が終わって70年になろうとしているのに、いまだに何でもかんでも戦争に絡めて日本を批判するのは、明らかに中国が間違っている。そもそも中国政府のやることは矛盾だらけだ」(同書より)という内容の記事を書き、さらに記事の末尾では"もしこの発言がもとで中国当局に捕まりそうになったら、日本に帰化して新宿区議選に立候補する"と、出馬宣言するまでになったのです。

 2015年4月26日の新宿区議選出馬に向けて、日本国籍取得に奔走していた2014年3月、李さんのもとに1件のメールが届きます。それは、民主党代表(当時)、海江田万里氏の秘書からのアプローチでした。政界では中国通として知られる海江田氏と会談した李氏は手応えを感じ、もし、新宿区議選で、野党第一党たる民主党の公認が得られれば、強力な追い風となるはず、と期待を膨らませます。

 しかし、2015年4月26日の新宿区議選まであとわずか、という時期にきて、李氏は、日本社会の壁にぶち当たってしまいます。同年2月の民主党の幹事会で、李氏の歌舞伎町での経歴が問題視され、民主党からの「公認」は得られず、「推薦」無所属で出馬する羽目になったのです。公認と推薦、実際の選挙活動に大差はないとはいえ、ハシゴを外された結果になりました。

 選挙戦では奮戦したものの、得票は1018票。当選ラインの1400票に届かずに落選。しかし、それでも、李氏は、立候補することに意味があった、と振り返っています。

 もともと李氏が立候補しようと決意したのは、"日本の若者に『選挙権』のありがたみを伝えたい"そして、"中国の人々に『民主主義』の素晴らしさを伝えたい"という思いから。

 共産党の一党独裁のもと、政治活動や表現の自由が制限され、「民主主義」や「直接選挙」が存在しない中国で生まれ育った李氏は、「生まれながらにして選挙権も被選挙権も当たり前のように行使できる日本人は、はっきり言って、そのありがたみを忘れている」(同書より)と指摘。選挙中は「私に投票しなくてもいい、誰に投票してもいいから、政治を変えるために投票に行ってください!」(同書より)と演説し、若者へ政治参加を訴えていました。

 さらに、選挙活動を通じて、帰化直後の元・外国人でも立候補できる日本の民主主義の公平さを実感し、祖国・中国の人々にも民主主義の素晴らしさを発信したいという思いがあったそうです。実際に、中国のSNSで李氏が立候補を表明すると「オレたちも投票権がほしい!」「うらやましい!」というコメントが相次いだのだとか。

 歌舞伎町案内人が肌で実感した、永田町のリアル。元・中国人だからこそ気付いた、日中の選挙の違い・面白さをまとめた同書は、日本で生まれ育った我々が見落としがちな側面を教えてくれるのではないでしょうか。

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