ミック・フォーリーの痛みへの強さと狂気の多重人格ギミックが重なる『ダークマン』
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"復讐心で悪を裁く"「アンチ・ヒーロー」モノ。以前から存在したものの、90年代頃から目立つようになった気がするこのジャンルですが、今回のお題『ダークマン』(1990)もその一角。
サム・ライミが監督・原案・脚本(共同)を担当した本作は、『死霊のはらわたⅡ』後に制作されたせいか、斬新だけど冷静に考えると雑なカメラワーク、笑いをこらえるのが難しい謎の演出やシーン繋ぎなどなど、むせ返る「ホラーのライミ」臭に胸がつかえる素敵な珍作です。
人工皮膚の研究者ペイトンは、恋人で弁護士のジュリーが置き忘れていった賄賂の証拠書類を強奪しに来たギャングによって研究所兼自宅ごと爆破され、瀕死の状態に。大火傷を負いながらも痛覚を失うと同時に超人的な身体能力を手に入れたペイトンは、他人そっくりになれる人工皮膚をまとい「ダークマン」となって復讐する、というのが大まかなあらすじ。
勧善懲悪が主体のプロレスでも、90年代は既存価値観に変化が起きた時期で、WWE(当時WWF)では、スティーブ・オースチンがヒールとして自分勝手にやりたい放題やる姿にファンが共感し、信念による行動なら悪いこともアリ、いやむしろクール!と大人気に。建前の正義面をするベビーフェイス勢を蹴散らすだけでなく、巨悪の象徴となるマクマホン会長に牙を向いたことで、プロレス界における"アンチ・ヒーロー"像が確立されました。
ただ、本作『ダークマン』は個人的な恨みが動機なので、オースチンがWWEで見せたような世直しヒーロー的な場面は一切ナシ。それどころか、人工皮膚が一定時間しか保てない状況に苛立つペイトンは痛覚の神経を切除された副作用で、子供のように直情的に行動したり、破壊衝動に駆られたりと感情の昂ぶりを抑えられない状態に。
この辺りの狂人要素はオースチンというより、4メートルの高さから投げ捨てられたり、バラ撒いた画鋲の上に自爆同然に相手を沈めるなどの自虐的バンプ(受け身の意=ヤラレ方)や、子供じみた言動をトレードマークにしていたマンカインド的。
転じて、作中でペイトンが人工皮膚でギャングたちに偽装して翻弄する展開も、マンカインド含め同時期に多数のギミックを演じたミック・フォーリー的とも捉えられなくもありません。
と喩えたところで話を戻して、ヒーローモノとして観ると、ちょっと怪力だったり、やられても痛くないとか地味な一方で、ライミ先生のホラー映画監督としての出自がそうさせるのか、神経の昂ぶりや激情するシーンにおける必殺のコマ撮りや霊的なエフェクトなどこだわり演出で笑いのツボを攻めてくる本作。
ギャングのボスが乗るヘリにぶら下がるシーンから、建築中の高層ビルの鉄筋上での真の敵と対峙するクライマックスを観れば、「完全に笑いを取りに来てる!」と気付くことでしょう。そういや『(旧)スパイダーマン』三部作でも高層建築物が決戦の舞台だったから、ライミ先生のヒーロー像は「高い所で決着戦」に違いない!
(文/シングウヤスアキ)