『都市と星』完成への道程とクラークの作家性

1956年に刊行されたアーサー・C・クラークの長編『都市と星』。人の生死をも管理する都市ダイアスパーを舞台に、未知の世界と真実を追い求める主人公アルヴィンの冒険を描く壮大なスケールのSF小説です。幾度もの書き直しを経て一度世に出た『銀河帝国の崩壊』に、さらに大幅な加筆と修正を加え、タイトルも変更して完成に至った『都市と星』という作品の特徴を作家の瀬名秀明(せな・ひであき)さんに伺いました。

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クラークは、一度書いた作品をさらに練り直す作業をよくおこなう人でした。『都市と星』はその最たるもので、もともとはクラークが商業誌デビュー前からこつこつと書いていた、実質的な第一長編です。なかなか出版契約に至らず、何度も書き直し、いったんは1948年に雑誌掲載されて、1953年には『銀河帝国の崩壊』として本にもなったのですが、世のなかの科学技術の進歩は速く、クラークは出来映えに不満を持っていました。そこで再び改稿に取りかかり、さらに大幅に加筆して描写に厚みを持たせ、タイトルも変えてもう一度世に送り出したのが本作です。
ぼくはこの作品を、クラークの青春時代から成熟の時代への軌跡、すなわちSFそのものの青春と成熟の過程が凝縮、結晶化された、まさに宝石のような輝きを放つ素晴らしい一冊だと考えます。
本作の舞台となるダイアスパーは、人の誕生や死さえも完全管理された驚異の都市。住民はおよそ千年の寿命を迎えると、その情報とともに都市のメモリーバンクに格納され、約十万年後にふたたび肉体をまといます。基本的にはその繰り返しですから、社会全体がとても安定している。
ダイアスパーに移住する前は、どうも違ったらしい。「太陽系最後の日」のラストシーンが暗示していたように、かつて人類は宇宙に広がって帝国を築き、繁栄を享受(きょうじゅ)していたのです。ところが、伝説によると人類は〈侵略者〉によって宇宙を追われ、地球で細々と生き続けることを余儀なくされたという。物語が始まるのは、それから十億年以上という、途方もない歳月が流れた時代です。しかし、人類は決して不幸ではない。その都市に閉じこもっている限りは安穏な暮らしが保証され、しかもある種の不老不死も手に入れているからです。こうした舞台設定を見る限り、ダイアスパーは究極的なユートピア都市に思えます。ですが、はたして人類は本当の幸せを手に入れたのでしょうか。奇跡のユートピアどころか、ある種のディストピアなのではないか。そのような問いが『幼年期の終わり』からバトンタッチされ、作品の冒頭に提示されているのです。

■サイバネティックス小説の先駆け

ダイアスパーの根幹を為すのが、メモリーバンクです。ここにVR(ヴァーチャルリアリティ)的なデータが「構成情報」として蓄積され、住民の生死を含む都市運営を司っている。新訳版では「構成情報」の語に「マトリクス」のルビが振られています。確かにダイアスパーは、キアヌ・リーヴス主演映画『マトリックス』の世界観にも近く、その原型と考えることもできるでしょう。
第二次世界大戦後、ノーバート・ウィーナーがサイバネティックスという概念を提唱します。『都市と星』が書かれたのは、ちょうどサイバネティックスが台頭してきた時代でした。つまり、人間と機械が次第につながり、一体化していくという未来像─インターネットやAI、VRなどの原型となる発想が生まれてきた時代です。そういう流れを本作『都市と星』に読み取ることができます。
ダイアスパーでは、十億年以上ものあいだ、閉鎖空間での都市生活が営まれています。死にもせず生まれもせず、すべてが管理されている。ですから住民たちは、各種の芸術活動にいそしんだり、「サーガ」と呼ばれる仮想ゲームに興じたりして、変化の少ない毎日を楽しんでいる。そうです、十億年です。あまりに長い時間設定なので、びっくりなさったことでしょう。現代の感覚で考えると、どんなにしっかり制御した閉鎖空間であっても、十億年も続くはずがない。リアリティさえ手放しかねないこの極端な設定は、やはり数十億年もの歳月が物語のなかで流れるステープルドンの『最後にして最初の人類』の影響と見る向きもあります。たぶん初期に書いた設定がそのまま残ったのでしょう。本作はこのように大時代的な部分と洗練された部分がまだらのように混在しており、作家クラークの形成を見る上で興味深いところです。
本作の原題は『The City and the Stars』で、厳密には「都市と星々」となる。ダイアスパーは閉ざされた都市空間だが、その上には無数の星がある。そのStarsという複数形がぼくの心には響きます。『都市と星』の原型となった『銀河帝国の崩壊』の原題は『Against the Fall of Night』で、直訳すると「夜のとばりに抗って」となる。イギリス詩人A・E・ハウスマンの詩の一節から採ったタイトルで、クラークは若いころ作品にイギリスの詩を引用することがありました。このフレーズの意味はラストシーンでわかるのですが、後述するようにあえて簡潔な『The City and the Stars』に変更したことが、実は効果を上げています。
■『NHK100分de名著 アーサー・C・クラーク スペシャル』より

NHKテキストVIEW

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