飯田蛇笏の名句に学ぶ表記の重要性

「蒼海(そうかい)」主宰の堀本裕樹(ほりもと・ゆうき)さんが、表記の大切さを教えてくれる飯田蛇笏(いいだ・だこつ)の名句を紹介します。

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今回のテーマは「表記を考える」ということで、飯田蛇笏の句を鑑賞していきたいと思います。
飯田蛇笏の句のイメージは、故郷の山梨県境川村(現・笛吹市)に腰を落ちつけて俳句を作り続けた、格調の高い雄渾な諷詠(ふうえい)といった感じでしょう。実際句集を繙(ひもと)いてみても、重厚且(か)つ透徹した表現が一句一句に漲(みなぎ)っています。しかしながらそんな作品のなかでも蛇笏にしては珍しく柔らかい諷詠で、異彩を放っている作品があります。
をりとりてはらりとおもきすゝきかな

飯田蛇笏



この句は見ての通りすべてひらがなで表記されています。どうして蛇笏はすべてひらがなにしようと思ったのでしょうか。それは一本の芒(すすき)の持つしなやかさを字面でも見せたかったからでしょう。
野の芒を手折ったとき、「はらりとおもき」感触を手に感じ取ったのです。簡単に「はらりとおもき」と詠んでいるように見えますが、よく分析してみると、「はらりと」という軽やかさを表した措辞と「おもき」という措辞とをくっつけた表現は、なかなかできるものではありません。ふつうに表現すれば「はらりとかろき」でしょう。しかし「はらりとおもき」と詠むことで、一本の芒の穂の持つ確かな重量とその本質を見事に捉えたのです。この句を読むたびに、芒を手折ったときの感触とそのしなだれる様子が、読み手にもリアルに伝わってきます。
しかし実はこの句、昭和四年、大阪は大蓮寺での句会の席題「すすき」で詠まれたものなのです。この句を読むと、まるで今実際に手折った経験をそのまま詠んだように思えますが、句会の席題において、蛇笏が頭のなかで即興に近いかたちで思い浮かんだものなのですね。蛇笏には芒を折り取った経験がたぶん過去にあったのでしょうが、それを頭のなかで再生させて、このような名句を成すというのはやはり達人としか思えません。
それから表記のことに話を戻すと、最初に発表したときは、「折りとりてはらりとおもき芒かな」でした。そして第二句集『霊芝(れいし) 』では「折りとりてはらりとおもきすゝきかな」となり、最終形として「をりとりてはらりとおもきすゝきかな」となったそうです(『飯田蛇笏全句集』の井上康明氏の解説を参考)。この表記の変遷を見てもわかるように、蛇笏がいかにこの句を大切にして、字面に拘ったかがよくわかります。句作りにおいて、どれだけ表記が大事であるかを教えてくれる一句ともいえるでしょう。
■『NHK俳句』2019年9月号より

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