小説『ペスト』の構造
アルベール・カミュの小説『ペスト』の舞台は、フランス領アルジェリアの港町オラン。ペストが発生したこの市を、政府はまるごと閉鎖し、ペスト地区として隔離します。疫病という天災に見舞われ、追放状態に置かれた人間の群像劇である『ペスト』のアウトラインを、学習院大学教授の中条省平(ちゅうじょう・しょうへい)さんが解説します。
* * *
『ペスト』の物語は、アルジェリアの港町オランに「奇妙な事件」が起きるところから始まります。まずオランの町についての記述があって、こんな風に語られます。
ある町を知るのに適当なひとつの方法は、人々がそこでどんなふうに働き、愛しあい、死んでいくかを探ることだ。
「どんなふうに愛しあうか」は、「愛欲の行為といわれるもののなかでせっかちに貪りあうか、もしくは、二人きりの長い習慣のなかにはまりこむか」のどちらかです。「どんなふうに死ぬか」といえば、「病人はここでは完全にひとりぼっち」で「乾ききった場所」で「不愉快」に死んでいく。そして、「どんなふうに働くか」については、
ここの市民たちは一生懸命働くが、それはつねに金を儲けるためだ。
と書かれています。これらの簡潔な記述が描きだすのは、まさに現代社会そのものです。愛は刹那的なセックスと惰性的な夫婦生活に、死は人工的に隔離された非人間的なプロセスに、労働はただの金儲けに変化しているのです。この変化はカミュの時代にはまだそれほど顕在化していなかったはずですが、カミュは透徹した視線で、現代へと直結する人間と社会の変化を、この町に見ているのです。
新聞を開けばまず経済のことが目に入るし、お金をどう儲けるか、どう裕福になるかということばかりに言及する世界になってしまっている。娯楽はあるけれど、文化よりも物質的な繁栄にしか関心が向いていない。では、そういう世界は何が脆いかというと、お金という目的がなくなってしまったときに、どう生きるべきかが分からなくなるということです。
『ペスト』では町全体の監禁状態が描かれますが、そこで経済活動ができなくなってしまったときに、人間ははたしてどう対応するのか、という報告書でもあります。この点も、『ペスト』という小説がもつ、きわめて現代的な意義ではないでしょうか。地震や原発事故が起きて経済システムが停止したらどうなるのか? 日本が置かれた状況ともそっくりです。
そもそも植民地というのは経済的利益の搾取のために他国による支配がおこなわれている場所ですから、その意味では植民地の都市が経済最優先であるのは当然のことともいえます。そんな商業都市を舞台に設定することで、遠い北アフリカ沿岸の港町の話でありながら、じつは身近な現代社会そのものが描かれている点をまず確認しておきましょう。
さて、その舞台で、登場人物たちが順番に描かれます。
「四月十六日の朝、医師ベルナール・リウーは、診療室から出て、階段口の真ん中で一匹の死んだネズミにつまずいた」。リウーはそのことを門番のミシェル老人に注意します。その夕方、今度はネズミがアパートの廊下に現れ、きりきり舞いをして、口から血を吐き死んでいくのをリウーは見ます。
翌日、リウーは高地へ転地療養に旅立つ病気の妻を駅で見送り、そこで予審判事のオトン氏が小さな男の子を連れているのに出会い、挨拶を交わします。さらにその日の午後、医師リウーのもとを、パリから来た若い新聞記者ランベールが訪問し、町の衛生状態について取材します。
次に登場するのはタルーという青年で、アパートの階段で会ったリウーとネズミの出現について話をします。やがて町中のいたるところで、ネズミの大量死という「奇妙な事件」が続々と発生し、人々は不安になりはじめます。
リウーは、司祭のパヌルー神父に体を支えられて歩いている門番のミシェル老人に会います。老人は具合が悪そうで、ぜいぜい息を切らしています。それからリウーは、市役所に勤める初老の下級役人グランに呼びだされ、アパートの自室で首吊り自殺をしようとして隣人グランに助けられたコタールという男の手当てをします。あとでしだいにわかってくるのですが、このコタールという男は小悪党で、過去の犯罪が露見したことで、逮捕されることに怯えている人物です。
その夜、門番の老人を往診すると、老人は高熱を出しており、「頸部のリンパ腺と四肢が膨れあがり、脇腹に二つの黒っぽい斑点が広がって」いました。次の日の午後、老人の奇怪な病は急激に悪化し、死亡します。この門番は一筆書きで簡潔に描かれていますが、もし映画化していたなら往年の怪優ミシェル・シモンが演じそうな、印象的な人物です。門番の死以来、同様の死者が続出し、人々の驚きと不安は恐怖へと変わっていきました。
ここであらためて、タルーという人物が紹介され、彼が手帳に詳細な観察日誌を綴り、それが事件の記録となっていることが語られます。タルーは、数週間前にオランのホテルに居を定めた裕福な青年で、娯楽を愛好し、リウーと同じアパートの最上階に住むスペイン人のダンサーたちのところへもよく遊びに来ていました。
「記録」はこの小説の重要なテーマのひとつです。タルーは客観的な記録者ですし、またほかにも「書く人」として、記者ランベールや役人グランが登場します。そして、このことはあとで触れますが、『ペスト』は最後に、この物語全体が誰によって書かれたのか、という種明かしで終わるのです。つまり、『ペスト』は、この小説がいかに書かれたかということについての小説でもあるわけです。
■『NHK100分de名著 アルベール・カミュ ペスト』より
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『ペスト』の物語は、アルジェリアの港町オランに「奇妙な事件」が起きるところから始まります。まずオランの町についての記述があって、こんな風に語られます。
ある町を知るのに適当なひとつの方法は、人々がそこでどんなふうに働き、愛しあい、死んでいくかを探ることだ。
「どんなふうに愛しあうか」は、「愛欲の行為といわれるもののなかでせっかちに貪りあうか、もしくは、二人きりの長い習慣のなかにはまりこむか」のどちらかです。「どんなふうに死ぬか」といえば、「病人はここでは完全にひとりぼっち」で「乾ききった場所」で「不愉快」に死んでいく。そして、「どんなふうに働くか」については、
ここの市民たちは一生懸命働くが、それはつねに金を儲けるためだ。
と書かれています。これらの簡潔な記述が描きだすのは、まさに現代社会そのものです。愛は刹那的なセックスと惰性的な夫婦生活に、死は人工的に隔離された非人間的なプロセスに、労働はただの金儲けに変化しているのです。この変化はカミュの時代にはまだそれほど顕在化していなかったはずですが、カミュは透徹した視線で、現代へと直結する人間と社会の変化を、この町に見ているのです。
新聞を開けばまず経済のことが目に入るし、お金をどう儲けるか、どう裕福になるかということばかりに言及する世界になってしまっている。娯楽はあるけれど、文化よりも物質的な繁栄にしか関心が向いていない。では、そういう世界は何が脆いかというと、お金という目的がなくなってしまったときに、どう生きるべきかが分からなくなるということです。
『ペスト』では町全体の監禁状態が描かれますが、そこで経済活動ができなくなってしまったときに、人間ははたしてどう対応するのか、という報告書でもあります。この点も、『ペスト』という小説がもつ、きわめて現代的な意義ではないでしょうか。地震や原発事故が起きて経済システムが停止したらどうなるのか? 日本が置かれた状況ともそっくりです。
そもそも植民地というのは経済的利益の搾取のために他国による支配がおこなわれている場所ですから、その意味では植民地の都市が経済最優先であるのは当然のことともいえます。そんな商業都市を舞台に設定することで、遠い北アフリカ沿岸の港町の話でありながら、じつは身近な現代社会そのものが描かれている点をまず確認しておきましょう。
さて、その舞台で、登場人物たちが順番に描かれます。
「四月十六日の朝、医師ベルナール・リウーは、診療室から出て、階段口の真ん中で一匹の死んだネズミにつまずいた」。リウーはそのことを門番のミシェル老人に注意します。その夕方、今度はネズミがアパートの廊下に現れ、きりきり舞いをして、口から血を吐き死んでいくのをリウーは見ます。
翌日、リウーは高地へ転地療養に旅立つ病気の妻を駅で見送り、そこで予審判事のオトン氏が小さな男の子を連れているのに出会い、挨拶を交わします。さらにその日の午後、医師リウーのもとを、パリから来た若い新聞記者ランベールが訪問し、町の衛生状態について取材します。
次に登場するのはタルーという青年で、アパートの階段で会ったリウーとネズミの出現について話をします。やがて町中のいたるところで、ネズミの大量死という「奇妙な事件」が続々と発生し、人々は不安になりはじめます。
リウーは、司祭のパヌルー神父に体を支えられて歩いている門番のミシェル老人に会います。老人は具合が悪そうで、ぜいぜい息を切らしています。それからリウーは、市役所に勤める初老の下級役人グランに呼びだされ、アパートの自室で首吊り自殺をしようとして隣人グランに助けられたコタールという男の手当てをします。あとでしだいにわかってくるのですが、このコタールという男は小悪党で、過去の犯罪が露見したことで、逮捕されることに怯えている人物です。
その夜、門番の老人を往診すると、老人は高熱を出しており、「頸部のリンパ腺と四肢が膨れあがり、脇腹に二つの黒っぽい斑点が広がって」いました。次の日の午後、老人の奇怪な病は急激に悪化し、死亡します。この門番は一筆書きで簡潔に描かれていますが、もし映画化していたなら往年の怪優ミシェル・シモンが演じそうな、印象的な人物です。門番の死以来、同様の死者が続出し、人々の驚きと不安は恐怖へと変わっていきました。
ここであらためて、タルーという人物が紹介され、彼が手帳に詳細な観察日誌を綴り、それが事件の記録となっていることが語られます。タルーは、数週間前にオランのホテルに居を定めた裕福な青年で、娯楽を愛好し、リウーと同じアパートの最上階に住むスペイン人のダンサーたちのところへもよく遊びに来ていました。
「記録」はこの小説の重要なテーマのひとつです。タルーは客観的な記録者ですし、またほかにも「書く人」として、記者ランベールや役人グランが登場します。そして、このことはあとで触れますが、『ペスト』は最後に、この物語全体が誰によって書かれたのか、という種明かしで終わるのです。つまり、『ペスト』は、この小説がいかに書かれたかということについての小説でもあるわけです。
■『NHK100分de名著 アルベール・カミュ ペスト』より
- 『アルベール・カミュ『ペスト』 2018年6月 (100分 de 名著)』
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