宮沢賢治の童話を大人が読むことのおもしろさ

宮沢賢治の執筆スタイルは多くの作家のそれとは異なり、野外を歩き、メモを取りながら書いていたといいます。日本大学芸術学部教授の山下聖美(やました・きよみ)さんは、「頭の中で物語を構想して書くというよりは、自然の中を歩き、そこで感受したものをそのまま筆先から文字に変えて書いていた、とも言えるでしょう」と解説します。
怪しい風が吹くところから物語が始まる「注文の多い料理店」を例に、賢治の童話のおもしろさについて山下さんにお話を伺いました。

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■怪しい風が吹き、物語が始まる〜「注文の多い料理店」

賢治が作品に活かしたさまざまな自然のモチーフのうち、最も重要なものが「風」です。賢治の童話では、風が吹くとそこから物語が始まります。
童話集の表題作「注文の多い料理店」もその一つです。若い紳士二人が趣味の狩猟を楽しむため山に入りますが、成果を得られないまま道に迷います。案内人は消え、連れてきた二匹の犬は「あんまり山が物凄(ものすご)いので」という理由で「泡を吐いて死んで」しまいます。戻ろうとしても、どちらに行けばいいのかわからない。するとこんなことが起こります。
風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。
「どうも腹が空いた。さつきから横つ腹が痛くてたまらないんだ。」
「ぼくもさうだ。もうあんまりあるきたくないな。」
「あるきたくないよ。あゝ困つたなあ、何かたべたいなあ。」
「喰べたいもんだなあ」
二人の紳士は、ざわざわ鳴るすゝきの中で、こんなことを云ひました。
その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒の西洋造りの家がありました。
山奥に突然現れた西洋造りの家は山猫軒というレストランでした。これはちょうどいい、と二人は中に入りますが、実はそこは自分たちが食事をするレストランではなく、「来た人を西洋料理にして、食べてやる家(うち)」でありました。このことに気づいた二人の紳士は間一髪、大きな口を開けて待ち構えていた山猫から逃れます。すると、レストランの「室はけむりのやうに消え、二人は寒さにぶるぶるふるえて、草の中に立つてゐました。(中略)風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました」。風とともに現れた怪しいレストランは、再び風とともに消えていったのです。

■立ち止まって考えたい賢治童話の謎

さて、「風がどうと吹」くと突如怪しいレストランが出現するというこの物語。結末については、結局二人は食べられずに助かってよかった、とする解釈が一般的かもしれません。しかし、道もわからない山奥という舞台を大いなる自然の象徴と捉えると、山猫に食べられて初めて、食物連鎖という自然の大きな流れに組み込まれることができ、自然に還ることができていたかもしれない、とも言えそうです。そうすると、食物連鎖から吐き出されてしまった、「食べられもしなかった人間たち」を皮肉たっぷりに描いた童話とも読めるでしょう。
またこの作品には、“賢治童話の謎”、言わば“賢治あるある”がいろいろと登場します。例えば、先ほど紹介したように、二人の紳士が連れていた二匹の犬は、物語の冒頭で泡を吹いて死んだと描写されます。しかしその後、入ったレストランの目的に気づいて恐怖におののく主人たちを助けに、「あの白熊(しろくま)のやうな犬が二疋(ひき)、扉(とびら)をつきやぶつて室(へや)の中に飛び込んで」きたとして、犬たちが再登場するのです。死んだはずの犬が生き返るなんて論理的におかしいし、物語の辻褄(つじつま)が合いません。
しかしながら、そこで賢治マジックにかかってはいけません。賢治童話はそういうものなのだから、辻褄が合わなくてもいいのだ、と読み流すのではなく、ぜひその都度立ち止まり、「なぜ犬は生き返ったんだろう」と考えてみてください。それを考え、いちいち掘っていくうちに、とんでもないものが見つかったりするのが賢治のテキストのすごさです。例えば「銀河鉄道の夜」で、ジョバンニの病気のお母さんが「白い巾(きれ)を被(かぶ)って寝(やす)んでゐた」という描写があります。単なる寝具の形容だと読み流すこともできますが、病気なのに白い布? と立ち止まってみると、お母さんは実は死んでいるのかもしれない、というドキッとする解釈につながったりします。「こんなに怖い話だったんだ」という発見があったりする。ここが、大人が賢治童話を読む、あるいは再読することのおもしろさです。
■『NHK100分de名著 宮沢賢治スペシャル』より

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