天地がひっくり返っても負けられない──佐藤天彦、昇級がかかった一局を語る

今年1月、熾烈な順位戦を闘い抜き、A級への昇級と八段昇段を果たした佐藤天彦(さとう・あまひこ)七段(当時)。運命の一局を振り返ってもらった。

* * *

1月8日、僕は8勝2敗でB級1組11回戦を迎えていた。全6局中、僕のA級昇級の条件に関係する対局は、木村一基八段対橋本崇載八段戦と山崎隆之八段対松尾歩七段戦。僕と木村八段、松尾七段が勝った場合のみ昇級が決まる。ただ他力であり、対戦相手の屋敷伸之九段は7勝2敗で上位。まずは目の前の将棋に勝つしかない。
しかし、午後3時ごろ。誤算があり、早くもはっきり苦しくなってしまった。そこで勝負に出ると自滅になる可能性が高い。選んだのは、悪さを認めてもっとも長引かせるような手。ここから5時間くらいは苦しい局面を粘らないといけないが、これは自分のミスが招いたことだ。長考の末、覚悟を決めた。
午後8時半ごろ。山崎─松尾戦が終わったようだ。どちらが勝ったのかはわからなかったが、感想戦終了後に松尾さんが対局を見て回っており、僕の将棋も見に来られた。
その自然な空気から松尾勝ちではないか、と想像した。だとすれば昇級の可能性は高まっていることになる。ますます頑張らねばと気合いが入った。そのころの僕の局面は、ちょっと悪そう、くらいまで持ち直していた。自信はないが、気を落とさずに指し続けよう。しかし、ピンチは来た。こうやられたら困るという手があり、長考されている。だが、指してはこなかった。嫌な順があったようだが、そのときの僕にはわかっておらず、ほっとした。
そうして終盤の入り口に入る。昼下がりのつらい時間と、そのときの粘り抜くという覚悟を思い出した。それを考えればかなり元気が出る展開。ただ、こちらは相手より残り時間がかなり少ないのが気がかりだ。
局面は最終盤へ。相手玉をほぼ受けなしに追い込んだ。
しかし、進めていくうちに引っかかる手が出てきた。勝てそうなのに、考えてみると簡単じゃない。持ち時間は残り4分。
そのころ木村─橋本戦が終局。木村先生の声の調子から僕は木村勝ちなのではないかと感じた。もし木村勝ちで松尾勝ちの推測が当たっているとすると、僕は勝てば昇級ということになる。天地がひっくり返ってもこの将棋は負けられない。
果たして、相手は引っかかっていた手を指してきた。よくわからないまま、問題の局面が来る…と思いきや、指されたのはもっと強い手。予想外の手に、時間があっという間に減っていく。そしてついに1分将棋に。もう詰ましにいくしかない。
大駒を全部捨てて王手をかけ続け、数手後。はっきりした。詰みだ。屋敷九段投了。終盤戦の残像の中、勝ったことの素直な喜びが湧いてきた。
感想戦終了後。それまで誰もおめでとうを言ってくれない。やはり昇級は妄想だったのか。そんなとき、記者の方に昇級を知らされた。まさか本当に今日昇級できるとは…。本局を含めた厳しいリーグ戦を思うと信じられないが、とにかく結果を出すことができたのだ。これで僕はA級棋士なんだ。晴れやかな、大きな喜びが心に広がった
■『NHK将棋講座』2015年4月号より

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