奪われてほっとした部分も……張栩九段、井山裕太六冠との名人戦を語る

撮影:河井邦彦
※2014年12月1日現在の記事です
棋聖3期、名人4期、本因坊2期をはじめとして七大タイトルをすべて制覇。国際棋戦での優勝2回を含め、獲得タイトル数は38に及ぶ。
山下敬吾、高尾紳路、羽根直樹とともに「平成四天王」と呼ばれ、確かな一時代を築き上げた。井山裕太六冠が誕生する前は、史上初となる五冠にも輝いた。
その張栩(ちょう・う)九段も、現在は無冠。依然として各棋戦で挑戦者争いを演じるなど存在感を示してはいるが、2013年、14年と2年連続でタイトル獲得がゼロで終わったこともまた事実。今の心境を尋ねてみた。

* * *

五冠になったことで、周囲の「七冠」という期待も感じていました。早碁も含めてほとんど全部の棋戦で決勝あたりまで勝ち進めた時期が一瞬だけあって、このときは自分でも「どこまで行けるか」と楽しみにしていたものです。
でもこのころから、井山(裕太・六冠)さんが頭角を現し始めていました。いやもう、ものすごい天才だと思いましたね。今だから言えることでもあるのですが、かなり早い段階で、才能も実力も努力もすべて負けていたのではないでしょうか。その割にはその後、僕なりにかなり粘ったのではないかとも思っているのですが…。
いずれ負かされるときが来ると分かっていても、戦うからには「自分が何としても勝つ!」と信じていました。彼と初めてタイトル戦で戦ったのは、彼が19歳のときの名人戦でしたが、彼もまだ若かったので「彼にもまだ足りないものがあるはずだし、自分のほうが勝っている部分もあるのではないか」と思っていたのです。
とはいえ、この最初の名人戦のとき、精神的にはかなり追い詰められていましたね。自分の中では井山さんが強いことはもう十分すぎるほど分かっていましたが、周囲は「まだ張栩のほうが上だろう」と見ているムードがありましたので、僕としても「勝たなければ…」という気持ちにさせられていました。実際「彼が十代のうちには名人にさせないぞ」という意地みたいな思いもありましたし…。
そして4勝3敗で何とか防衛できたのですが、まだ僕のほうに少しだけ、経験という点で利があったということでしょうか。のちに井山さんが話してくれたのですけど、このときの彼はまだ、自分に対し絶対的な自信を持てていなかったそうです。そういったところで、少しだけ隙があったのかもしれません。
でも翌年の再戦は完敗でした。この一年間で彼が戦うたびに強くなっているのを感じていましたが、それを七番勝負ではっきりと証明されてしまいました。
20歳の名人誕生を許してしまい、気持ちは複雑でしたね。彼が小学生のころに、NHKのお好み対局で指導碁のような対局をしたときから「この子はいずれ日本の囲碁界を背負う存在になるだろう」と感じるものがありました。そして当時の僕は日本碁界を代表して世界戦で勝たなくてはいけない立場でしたから「この子に早く強くなってもらって、この責任を負ってもらいたいものだ」とも思っていました。
ですから名人を奪われたときに、どこかで少しだけほっとした部分もあったのです。負けて悔しいのはもちろんなのですが、世代交代ということになって「これでよかったのかな…」とも感じたのです。こうやって次の世代につながっていくのかな、と…。
■『NHK囲碁講座』2015年1月号より

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