山下敬吾九段、棋聖戦七番勝負での封じ手を語る

撮影:小松士郎
小学生だった山下少年の、対局に敗れ涙を流す映像が忘れられないという囲碁ファンが多いのではないでしょうか。「まあ、泣かなくはなりました」と笑う山下敬吾(やました・けいご)九段。11月号の「シリーズ一手を語る」は、数々の名局の中、最も印象深い一手のお話です。

* * *


■子どものころからの夢の舞台

今回は、初めての二日制――棋聖戦の七番勝負の中から一手を選ばせていただきました。三大タイトルの七番勝負というのは、子どものころからの一番の目標であり夢でしたので、その舞台に初めて立てたこのシリーズのことはとても記憶に残っています。その中でも特に印象深い一手です。
当時は、王立誠さんが3連覇中でした。立誠さんとはそれまで割と勝たせていただいているし…というひそかな自信も持ちつつ(笑)、挑戦者に決まったときは楽しみが大きかったのですけれど、やはり、まだ何も分からない状況ですので、対局が近づくにつれ、だんだん不安も募っていきましたね。
シリーズが始まり、1局目、2局目と勝たせていただきました。ただ、内容としては決して褒められたものではありませんでした。
悪い碁を最後のほうで逆転。そして3局目は、チャンスというチャンスがなく、ほぼ完敗といった内容でした。
ですから、2勝1敗とリードはしていたのですが、自信どころか、むしろ追い詰められているような気持ちでした。「大丈夫かな」とか「これに負けたら…」という思いもあった4局目でした。
では、局面をご覧ください。私の黒番です。

左辺の白の生き方がつらいので、現状はすでに黒が少し優勢になっています。でも、上辺で戦いが起きていて、ここでどちらが優位に立つかがポイントです。
黒55のツケコシに、白としては抵抗できず、実戦の進行しかないという感じ。黒にはいろいろ選択肢があるところですが、緩んでいるわけにもいきませんので、最も厳しい手を選びました。白68まで進み、続く黒69が、今回の「一手」です。この手を、私は「封じ手」にしました。
封じる前には、かなり長く考えました。普通は、なるべく難しくなく、すっきりしたところで封じるものです。しかしこの碁は巡り合わせで、勝負と直結する局面を迎えていたからです。
「今打ったら、相手が一晩で気持ちを切り替えるのかな」とか、いろいろ考えました。二日目だったり、そもそも二日制の碁でなければ早く打ったのですが、「一日目で終わってしまうのでは」という心配が一番でした。
安心のために何回も何回も読み直して「封じ手」の時間がくるのを待ちました。それでも、封じた晩は、「こんなにうまくいっていいのだろうか?」とか「何か自分の見落としがあるのではないか」という不安がありました。
白60で、1図の白1と上辺に力を入れるわけにはいきません。黒2のカケがぴったりで、黒4まで中央の白四子を取られてしまうためです。 
2図は、少しさかのぼり、(黒47)と打った場面です。実は、このときから、今回の「一手」を読んでいました。

ここで、白aから黒fまでを打たずに、単に白1なら、黒2から6のとき白7が有力です。この進行なら、黒gのカケが成立しません。ですから、「白は出切ってはこられない」と、白1を予想していました。
ところが、実戦は白a、黒b、白cと出切ってきた。歓迎の進行でした。
白68に続いて、3図の黒1の押しは、黒7までが予想されます。これでも形勢は悪くはないのでしょうが、黒が自信を持てる進行とは言えません。 
4図の黒69が、今回の「一手」です。とりあえず、「封じ手」を書き間違えておらず安心し、その後は、相手の妙手を読み落としていないか緊張しました。一つ間違えると負けが確定するくらいの一手、局面でしたから。 
最近は、封じた晩にはその手のことを「考えないように」遮断できるようになりました。でも、この手が封じ手でしたら、今でもやはり結構ドキドキすると思いますね(笑)。
続いて、5図の白1と出るよりありません。黒は2と切ります。
ここで白が抵抗するなら、白3から逃げることになります。一本道なのですが、ちょうどいい黒の厚みが待っていますので、黒12まで白は外に逃げることはできません。
そこで、外側の黒を破壊するしかなく、白13からも一本道。白23からのシチョウが問題になってきます。 
下辺に黒石が待ち構えており、シチョウは黒よし。白の大石は助かりません。
実戦は、6図の白70、黒71に続いて、白は手を抜き、下辺に白72と打ちました。5図のシチョウアタリです。でも、黒73と中央の白四子を取り切っては、黒の勝勢に近い形勢になりました。 
本局に勝ち、自分の中の流れが変わったように思います。

■大きな自信につながった

今回の「一手」は、対局していればそんなに難しい手ではありません。ただ、なかなか実戦で決まることは少ない。それを、この大舞台で、しかも封じ手のタイミングで打てたということで、自分は「持っている」と言いますか――当時「持っている」とは思いませんでしたが(笑)、「これで、この七番勝負はいけるんじゃないかな」という思いは少しありましたね。その後の5局目も、苦しい時間が続いていたのですが、最後に勝つことができた。やはり、あの封じ手から勢いがつき、流れが自分に向いてきたのではないかと、あとになってみるとそう思います。
棋聖になれたことはもちろん、自信につながり、その後の自分の棋士人生を大きく変えてくれた。その意味でも印象深い一手です。棋聖になってからは、恥ずかしい碁は打てないというプレッシャーを感じるようになりました。これからは、「なぜ気付かなかったのだろう!」と驚かれるような、他の人にない発想で、すばらしく、皆を納得させられるような一手を打てるようになれたらいいなと思っています。
■『NHK囲碁講座』2016年11月号より

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