アンガジュマンとは何か

ジャン=ポール・サルトルの実存主義と切り離して考えることができないのが、「アンガジュマン」という考え方である。それは、何らかのかたちで行動の次元での他人との関係を想定している。アンガジュマン思想の基本をフランス文学者の海老坂 武(えびさか・たけし)氏が解説する。

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アンガジュマンの動詞形はアンガジェ(engager)すなわち「拘束する、巻き込む、参加させる」という、ごく普通の動詞です。これがフランス語でいう代名動詞になると、「自分を拘束する、自分を巻き込む、自分を参加させる」という意味のサンガジェ(s’engager)となり、自分をアンガジェするということになって、そこから名詞のアンガジュマン(engagement)が出てくる。ですからアンガジュマンは、「自分を拘束すること、自分を巻き込むこと、自分を参加させること」という意味になる。
では何に拘束されるのか、巻き込まれるのか、参加するのか、というと、そのときには何らかの行動が想定されている。『実存主義とは何か』で例に挙げられているのは結婚です。たしかにそれは同時に他人をも拘束する個人的行為ですが、サルトルは話を広げてひいては人類全体をアンガジェするとまで言っている。
ただ、アンガジュマンという言葉は、とりわけ政治的行動について使われることが多く、日本語としても、だいたいは「政治参加」「社会参加」あるいは「現実参加」という言葉に訳されています。ちなみに英語で言うと、エンゲージメント(engagement)は奇しくも「婚約」ですから、むしろコミットメント(commitment)となります。
実はアンガジュマンという言葉自体は、サルトル以前にもアンドレ・ジッドが同じような意味で使っていました。ただ、サルトルの実存主義宣言(講演「実存主義はヒューマニズムである」)とアンガジュマン宣言(「「レ・タン・モデルヌ」創刊の辞」)が同じ1945年10月におこなわれ、強い影響力を持ったところから、アンガジュマンといえばサルトル、そして実存主義、という風に結びつけられたのです。
日本でも、「政治参加」「社会参加」という言葉は、戦後すぐに市井(しせい)に浸透していきました。しばしば小説の主題にもなり、議論の種にもなっている。たとえば堀田善衛(よしえ)の芥川賞受賞作『広場の孤独』(1951年)。この小説のテーマがまさに「コミットメント」つまりアンガジュマンで、作中にサルトルの名前も出てきます。朝鮮戦争勃発当時の日本社会が背景になっていますが、当時の日本はアメリカの占領下ですから、反動的な新聞社で渉外部の仕事をしている主人公は、そこで働くことは米軍の戦争にコミットすることになるのではないかと悩んでいる。主人公の妻も巻き込んで、政治的、社会的な様々なレベルのコミットメントの問題が扱われていきます。
アンガジュマンはそのように、自分だけでなく他人をも関わり合いにする。その場合の他人とは、行動をともにする人、あるいは行動をともにできる人、さらには行動の目的となる人ということです。サルトルはこんな言い方をしています。
むろん、人間の定義としての自由は他人に依拠するものではないが、しかしアンガジュマンが行なわれるやいなや、私は私の自由と同時に他人の自由を望まないではいられなくなる。他人の自由をも同様に目的とするのでなければ、私は私の自由を目的とすることはできないのである。

(『実存主義とは何か』)



つまり、人間が自由な主体としてみずからを投企し、何らかの行動を選択するとき、その目的は他人の自由だというのです。
■『NHK100分de名著 サルトル 実存主義とは何か』より

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