『水道橋博士のメルマ旬報』過去の傑作選シリーズ 川野将一「ラジオブロス」星野源のRADIPEDIA
芸人・水道橋博士が編集長を務める、たぶん日本最大のメールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』。
過去の傑作選企画として、編集長である博士も僕も、とりわけ大好きな回、川野将一さんによる連載『ラジオブロス』の星野源さんについて書かれた原稿をお届けします。(編集/原カントくん)
以下、『水道橋博士のメルマ旬報』Vol81 (2016年3月11日発行)より一部抜粋〜
川野将一『ラジオブロス』
Listen.56 『 星野源のRADIPEDIA 』(J-WAVE)
( 毎月最終放送日 2011年1月〜2014年9月 深夜0:00〜2:00 放送 )
「ここで、俺の身体的サプライズいいですか?
出てきた瞬間にめっちゃ"うんこ"したくなって...。いい?いい?
ここ横浜アリーナだけどいい? トイレ行ってみていい? ありがとう!」
星野源の音楽史には欠かせない、2014年12月17日の"横浜アリーナうんこ事件"。
しかし、『タマフル』での時を越えた宇多丸へのカミングアウトは、
ラジオ好きにとっては決して流すことは出来ない、さらに"大"なものと言えるだろう。
2011年10月29日放送の
『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』(TBSラジオ)。
その日の特集は、
「第2回リスナーラップジングルへの道」の最終選考スペシャルだった。
リスナーから自作の番組ジングルを募集し、
その期間は毎週、宇多丸とスタッフがチョイスした作品をOAしてきた同企画。
これまで届いた作品の中から、実際に番組で使用する
最優秀作のジングルを決定するのが最終選考スペシャルの放送だった。
応募条件は"プロ・アマ"問わずで実施された同企画。
そのラジオ好きの"プロ"はひっそりと名前を伏せて応募していた。
『POPEYE』2013年7月号の連載「星野源の12人の恐ろしい日本人」。
2014年12月には単行本『星野源雑談集1』としてまとめられた、
その雑談対談相手の1人にライムスター宇多丸がいる。
そこで星野源は、憧れのラジオパーソナリティにある告白をした。
星野 「最後にカミングアウトしたいことがあるんですけど、
実は何度か『タマフル』でメールを読んでもらったことがあるんですよ」
宇多丸「え!? 匿名で? マジ?」
星野 「はい匿名で(笑)、メールアドレスもそれのために取得して、
本名記載部分も変えたので完全に匿名ですね」
宇多丸「何の時に?」
星野 「1回目は『KO-KO-U 〜孤高〜』っていう孤独なエピソードを送るコーナーで、
2回目は番組で流すジングル曲を募集してた『ラップジングルへの道』で音源送りました」
宇多丸「え、採用されました?」
星野 「はい(笑)」
宇多丸「どのやつですか!?」
星野 「優勝したやつです(笑)」
宇多丸「(絶句)ええええええええええ!」
今から4年半前のその放送で、
優勝ジングル作品を送ったのは、匿名「スーパースケベタイム」。
ゲストのサイプレス上野も「コイツは相当のスケベ」と認める秀逸な出来だった。
決してクリアとは言えなかった音質も、もちろん"声バレ"防止のため。
J-WAVEを聴かないリスナーも無意識に星野の作品をTBSラジオで聴いていたのである。
以降、『タマフル』において、星野源のスケベな試みを、
「俺の耳、すごくね! 俺の耳の確かたるや!」と自信に変えた宇多丸は、
番組での星野の呼び名を「スーパースケベタイム」に変え、度々ゲストに招き、
2015年12月12日放送では"今もっとも勢いのあるドスケベ"と紹介し、
ニューアルバムの完成と、宇多丸いわく"紅白歌合戦とかいう"番組への出場を祝った。
2015年12月31日放送、『第66回NHK紅白歌合戦』。
自身のパフォーマンスに入る前、星野は
ホールの観客と、テレビの前の視聴者と、昔の自分に向けてコメントした。
「3年前は、病室で『紅白』を観ていました」。
2013年1月出版の星野源エッセー集『働く男』。
好きなユニコーンの名曲と同じタイトルにしたのは、
当時のワーカホリックな自身を体現したものだった。
その初版の帯の文言には恐怖すら感じさせる仕事へのキケンな情熱に満ちていた。
「どれだけ忙しくても、働いていたい。
ハードすぎて過労死しようが、僕には関係ありません。」
当時は、アルバム『Stranger』を制作しながら、
雑誌8誌に及ぶエッセーの執筆や対談連載をこなし、
単行本の執筆作業も行い、内村光良座長のコント番組『LIFE!』の収録を行いながら、
スタート時「いつか『紅白』に出たい!」と夢を語っていた。
J-WAVEのラジオ番組『星野源のRADIPEDIA』も当時は週1レギュラーでこなしていた。
ある日突然、目の前がぐにゃっと。
倒れたのは、残っていた最後の1曲、
「地獄の底から次の僕が這い上がるぜ」と歌う
「化物」の録音を終えたばかりのスタジオだった。
その"くも膜下出血"の一部始終、
入院中のもがきは2014年5月出版のエッセー『蘇える変態』に詳しい。
後日控えたタワーレコード「NO MUSIC,NO LIFE.」のポスター撮影を
「面白いから病室で撮ろうぜ」と言っても、手術室に入るときに、
「7時開演だよ」と言っても、親やスタッフは誰も笑わない。
最悪な状況で異常に明るいその星野の振る舞いは、完全にスベっていた。
苦しみは、合併症や後遺症が残るかどうかが決まる手術後の1週間続いた。
何も食べられず、何も飲めず、休まずに続く頭の痛みを、不眠不休で耐え続けた。
痛み止めを打ってもらうと吐き気をもよおし、真っ黒い水を嘔吐した。
それまで抱いていた希望ややる気、忍耐力や誇りはすべて無くなった。
今すぐにでもベッドの頭上にある窓から飛び降りたい。早く死んでしまいたい。
死ぬことよりも、生きようとすることの方が圧倒的に苦しいんだ。
だから死は、一生懸命に生きた人に与えられるご褒美なんだ。
2013年5月公開のアニメ映画『聖☆おにいさん』で声優を務めるブッダが
先んじて身体に入り込んだような諸行無常の心の叫びだった。
そんななかでも『RADIPEDIA』に帰ったら何をしゃべろうかなと毎日考えていた。
療養中は宮藤官九郎やレキシなどの代理ナビゲーターが務めながらも、
スタッフはいつでも星野が戻って来られるようにとスタンバイしていた。
自分用に買っていたヘッドフォンは、復帰したその時のためにADに預けていた。
星野が知っていたのかは分からないが、仕事を辞めることを考えたそのADは辞められなくなった。
日が経ち水を飲めるようになると、欲望が生まれていく。
腹が減った。セックスがしたい。笑いたい。詞が浮かんでメモりたいからノート買いたい。
ギター弾きたい。面白い音楽が作りたい。コントがしたい。芝居したい。文章が書きたい。
この一件をどうやって文章化してやろうか。どうラジオでしゃべってやろうか。
そして、テレビからふいに自分の曲「フィルム」が流れた。
「声を上げて飛び上がるほどに嬉しい
そんな日々がこれから起こるはずだろ」
2012年大晦日、病室で『紅白歌合戦』を観て、正月に退院。
2か月が過ぎた定期検診の入院中に、自身も出演し、
園子温監督の映画主題歌にもなった「地獄でなぜ悪い」の歌詞が完成する。
「ただ地獄を進む者が 悲しい気持ちに勝つ」
だが、定期検診でまさかの再発が発見される。
次の特別な手術には医師探しから始めなければならなかった。
自分でも調べていいですかと断り電話をかけたのが、
『タイガー&ドラゴン』で共演し、星野がラジオを始めるきっかけにもなった笑福亭鶴瓶だった。
"ディア・ドクター"はすぐに相談に乗り、本物の名医を紹介してくれた。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」
頭蓋骨を開いた後の術後の痛み。
本にはその時の苦しみが見開き52行全面に同じ文字でぎっしりと書かれている。
しかし、その激しい痛みが感じられたことが、手術成功の証でもあった。
「手術中、川勝(正幸)さんに何回も祈ったよ、星野くん追い返してくれって」
と願っていたのは、星野とは音楽でも活字でも縁の深い細野晴臣の元マネージャー。
座薬を3回も入れてもらった看護師からは、最後になって「ファンです」と告白された。
「待たせたな〜! ただいま、星野源です。ちゃんとみんな、裸で待ってた?」
2013年3月8日、星野のアナルを最低3回は凝視した看護師も
久しぶりのオンエアとなった『RADIPEDIA』を聴いていたのかもしれない。
心配していた裸の心のリスナーに入院中のエピソードが披露される。
「手術してる時にトイレ行きたくなるじゃないですか?
それどうすると思う? 看護師さんがね、ぼくの"ナイススティック"握って、
位置を調整して、しびんを持ったまま40分ね。その間フリートーク。
どんな音楽聴くんですか? みたいなこと聞いたら、私DJやってるんです。
えー! みたいな。そこから僕の"ナイスステック"を握ってもらいながら音楽談義。
あれ、超楽しかった! まだギリギリ性欲戻ってなかったんで助かった。
"ナイススティック"が"プレミアム"にならなくてよかった。硬い状態にならなくて...」
久しぶりに聴くことが出来た「ナイススティック」。
もちろん、山崎製パンが番組スポンサーになっているわけではなく、
その瞬間こそが、リスナーが心の中で「おかえり」と星野源を迎え入れた時だった。
そう、実はこの番組の放送こそが「スーパースケベタイム」であるからに他ならない。
「このコーナーは既にイギリスでは60通りの呼び名が定着しているという僕らのシンボル、
ナイススティックのナイスの呼び名、通称、珍名を考える言語文化的アカデミックなコーナーです」
と、毎回、仰々しく一番丁寧な解説がついて始まる「ナイススティック」コーナー。
星野のファン、同番組の男女比率を考えると、
「セキセイチンコ」「自由の女神」「アワビ専用ナイフ」...などと
送ってきた投稿者の中にもきっと女性リスナーが潜んでいたに違いない。
そこに想像を膨らませると、自分の"ナイススティック"も膨らむってもんだ。
ちなみに筆者は、2007年6月に日本テレビで放送された深夜番組、
『女神のハテナ』において、アダルトバラエティー専門放送局「パラダイステレビ」の
立ち上げに関わった放送作家として祭り上げられ、隠語の新表現を考える企画に参加。
僕が提案したのは「出会い頭」「きかん棒」「俺ヒルズ」「MaxMara」「形状記憶合チン」など。
星野がラジオで求めているような「くっだらねぇ〜」の時間を岩井志麻子やイジリー岡田と共有した。
「くっだらねぇ〜」「意味ねぇ〜」が最上級の誉め言葉であるのは、
星野が、2009年まで28年間続いた、小堺一機&関根勤によるTBSラジオの長寿番組
『コサキン』で「くだらなさの英才教育」を受けたリスナーだったからに他ならない。
パニック障害にもなった少年期のいじめを乗り越えたのもラジオがあったからだった。
そして、入院中に耳からエールをもらったのは"コサキン"ではなく『洲崎西』。
声優の洲崎綾と西明日香のコンビによる文化放送 超A&G+のネットラジオ番組が星野を救った。
女子会トークのテンションのまま、時に「貧乳」や「毛の処理」についても話題にする、
日頃アニメを観ない層も引き込んでいる知る人ぞ知る人気プログラム。
ただ、筆者の好みとしては、最後まで候補に残っていたもう1つのタイトル案
『マイペース爆弾』の方が好きだったので、彼女たちに代わり星野源には同タイトルの曲を望みたい。
「星野源です。ただいまんこー!」
復帰ライブとなった、2014年2月6日の星野源初の武道館ライブ「STRAGER IN BUDOKAN」。
WOWOWの録画中継ではピー音で被せられたOPの挨拶を星野は入院中から考えていたという。
2人のミニスカ看護師に引率されながら登場し、
彼女達がステージから下がる時には、下から覗くように追いかける星野。
MCではもちろん入院中の"ナイススティック"のエピソードが披露された。
本当は2013年7月に予定されていた武道館公演。
長らく待たされていた祝祭の盛り上がりは、皆がビチョビチョの絶頂だったはず。
祝いの観覧席には所属する大人計画の同志である宮藤官九郎と阿部サダヲも駆け付け、
時間が押しているから辞めるように言われていた「ウェーブ」もやらずにはいられなかった。
アンコール登場前にスクリーンに流れた映画『地獄でなぜ悪い』の一場面。
明転すると、同じボーダー柄のポロシャツを着た「橋本公次」がそこにいた。
1万人の歓声を受け、日本刀を振り回して歌う主題歌の「地獄でなぜ悪い」。
ただ地獄を進む者が悲しい記憶に"勝った"瞬間だった。
『働く男』に書かれた、がん患者の闘病を描いた、
映画『50/50 フィフティ・フィフティ』の感想ページ。
「正直な話、僕は難病ものが苦手だ。嫌い、とかではなくつまり
"そんなの泣くに決まってるよ!"と思う。難病にかかり、それを支える人がいて、
ともに苦しみ、苦しみ抜いて最期に主人公は死ぬ。そんなの泣くに決まってんじゃん。
しかもそれは感動の涙というより、ただ辛く悲しい涙である。」
と書いたうえで、同作品が難病を"コメディ"に仕立て上げたことに希望を感じ、
最悪の人生を生きる主人公がただの一度も泣かなかったことを賞賛した。
多幸感さえ感じさせる、その攻めのスピリッツが退院後の武道館には溢れていた。
星野のライブの休憩時間にはお決まりで、
「一流ミュージシャンの皆様からお祝いメッセージ」が流れる。
登場するのは、水谷千重子、黒沢かずこ、レイザーラモンRG、椿鬼奴...、
星野が大好きな、音楽を愛するお笑い芸人たち。
「"一流ミュージシャンの皆様"は本当の気持ち」であることを
星野はDVDのコメンタリーで毎回おさえなおして伝えている。
2016年1月、筆者も参加した、さいたまスーパーアリーナの『YELLOW VOYAGE』では
武田鉄矢に扮した内村光良も登場。確実にテイクを重ね作り込んだVTRに歓喜し笑った。
そのスペシャルコーナーの常連に、バナナマンの2人がいる。
「赤えんぴつ」「T-STYLE」など毎回手を変えたコントのキャラクターで
楽しませてくれる彼らは、ラジオにおいても星野とは切り離せない間柄だ。
『バナナマンのバナナムーンGOLD』(TBSラジオ)。
ドラマ共演を通じて知り合った2010年以来、毎年5月の放送では、
星野源は「日村へのバースデーソング」を歌いにサプライズとして登場している。
もちろん、その内容は、
「図にのらないで 日村」「近寄るな どこか遠くへ行けよ」...という、
星野なりの愛情の笑いが存分に盛り込まれた内容なのだが、
最新の2015年、43歳のバースデーソングはやや趣が違った。
「救急車のサイレンが ふたりだけのラブソングさ
マンションのベランダは ふたりだけのゴンドラさ
日村 君はもう ソープに行かなくていい
日村 君はもう AV見なくていい」
熱愛報道を受けてのラブ&ピースな歌。
バナナマンも星野源も好きで、BSのニュース番組では
その熱愛相手と毎週仕事をしている身としては感慨深い新曲だった。
ちなみに、星野が日村から受けた金言は「ソープは高いところに行け」である。
「ツービート」。
2014年12月の横浜アリーナの2DAYSライブにおいて、
1日目を「弾き語りDAY」、2日目を「バンドDAY」をし、
2種類のビートを奏でることから、そんな粋なタイトルで星野はファンを迎えた。
筆者が参加したのは"うんこ事件"の「バンドDAY」ではなく「弾き語りDAY」。
奥田民生を迎えた揃いの作務衣&タオル巻きによるデュエットもサプライズだったが、
翌日を控えた"がまん汁"のような、アンコールでの一同白スーツ姿のバンドによる、
「Crazy Crazy」はまさに星野が憧れるクレージーキャッツを体現したものだった。
クレージーキャッツのメンバーの名前がさりげなく歌詞に含まれた同曲は、
2012年7月の『ミュージックステーション』(テレ朝系)のトークコーナーで、
星野がカバーしたことのある「スーダラ節」の話になり、
星野とタモリが数秒だけデュエットした「♪スラスラスイスイスイ〜」の奇跡を想起させた。
同曲はそのまま2人の属する「NHK(日本変態協会)」のテーマ曲にすべきである。
大人計画と劇団☆新感線がタッグを組んだ、
松尾スズキ作、いのうえひでのり演出による2014年夏の公演、
大人の新感線『ラストフラワーズ』。
その舞台劇で星野の役名を、クレージーキャッツのメンバーで
唯一の存命者である「犬塚弘」にしたのは、『RADIPEDIA』では、
「16の頃から知ってるけど、休むことを知らない男なんでね。
頭割って、脳味噌どかしたんでしょ? もうこれ以上がんばらなくていいよ」と、
少しラクに生きてみるようにアドバイスを送った劇団のボス、松尾スズキのはからいだろうか。
その舞台のクライマックスで、
世界が滅亡していくなか、裸でギターを掻き鳴らし「ラストフラワーズ」を歌う星野。
その間奏中の「聴けーーーーーっ!」の叫びは、
台本には無い、現場で星野が松尾に提案してOKをもらったアドリブだった。
昨今の星野のライブには欠かせないゲスト、本人演じる、
長髪でサングラス姿の、布施明、もとい"ニセ明"の登場時は、いつも、
変態でクレージーなプロフェッショナル集団、大人計画の一員であることを再確認させてくれる。
「癒し系」「草食系」といわれることを激しく嫌う星野。
それを理解しているからか、大人計画での松尾も、ウーマンリヴでの宮藤も、
星野を起用する時は、とにもかくにも「ハダカ」が多い。
医者に頭蓋骨を割られ、看護師に肛門を見られた男がもう隠すものは何もない。
KING OF STAGEのライムスター宇多丸が激しく嫉妬した、
2015年12月発売の星野源のアルバムタイトル『YELLOW DANCER』。
ブラックミュージックを自分の音楽と融合し、イエローに変えて、歌い、踊る。
星野は「ダンス」を「踊る」だけではなく、「生きる」にも訳する。
踊ることが生きるなら"エロ""スケベ"もまた"生きている"証である。
2015年6月、星野が望んでいたバンドのスタイル、
全員が顔を合わせた車座になってのライブを、最期となる両国国技館で実現させたSAKEROCK。
本当はずっと歌いたかったのに、恥ずかしくてメンバーに言い出せなかった。
最初は観客から隠れるようにスピーカーの後ろで座ってギターを弾いていた男は、
2015年大晦日の『紅白歌合戦』では、ギターさえ手放し、
笑顔しか似合わない「♪Baby」という第一声から、激しく、楽しく、歌い踊った。
心も体も生き方も、星野源は立派に"変態"を遂げた。
そのNHKホールでも披露された、2015年以降もっとも歌っている曲「SUN」。
「SUN」=「日」。そのタイトルがバナナマンの日村から取られていることは、
ミュージックビデオで踊る女性たちが揃ってオカッパ頭なことからも明らかである。
退院して初めて開いた星野の携帯に入っていた留守電は、
「心配です。返信は無用です。」という日村の声だった。
バースデーソングの一部分のフレーズがそのまま使われていたりと、
その曲はラジオファンをニヤリとさせる仕掛けが施されている。
2015年12月4日、ニッポン放送の単発で『バナナムーンGOLD』の裏で
『星野源のオールナイトニッポン』が放送された時も、
「SUN」を流す前には曲に込められた日村への想いを伝えた。
その後に、AMでも基本姿勢を崩すことはなく、身の回りの物で出す、
リアルな"アエギ声"を競い合う、「A-1グランプリ」が開催された。
『タマフル』での"スケベな犯行"も含めて、
星野は、ナビゲーターとして、リスナーとして、投稿者として、
ラジオ界を縦横無尽に華麗にダンスし続けている。
2012年2月22日放送の『RADIPEDIA』では、
そんな星野だからこそ感じる、独特の「ラジオの距離感」について語られた。
「やっぱラジオって距離感が近いと思えるからかもしれないけど、
なにかこう自分だけに話してくれてるような感じもするし。
自分が手紙を書いたり、僕ん時は手紙・ハガキ、FAXもあったけど、自分の送ったものが
読まれた時の喜び、みたいな。で、僕、今みたいにツイッターとか無いから、
ハガキとか読まれた時に誰にも言えないわけですよ。今は例えばツイッターとかでね、
"読まれたー!"とか言う人たぶんいると思うんだけど、当時は全然無いから。
その"読まれたー!"っていうのって嬉しいし共有出来ていいんだろうけど、
俺のあの時の喜びよりたぶん低いだろうなぁみたいな気がする。
もったいないな、それ出しちゃうの。なんか、すぐ共有しちゃっていいの?みたいな」
たぶん、今の時代に「読まれたー!」とつぶやけば、
「おめでとう!」という反応がいろんな人から返ってくるだろう。
それを機にその中の誰かと友達になるかもしれない。
僕もそのピュアなラジオへの向き合い方に感激し、お気に入りに入れる可能性は十分にある。
星野源の誤解されかねない勇気ある意見は今となっても貴重で、
ラジオが「つながらなければ楽しめない」というような、
昨今凝り固まってしまっている風潮に対しての問題提起ともいえる。
例えば、TBSラジオ「JUNK」における、伊集院光と山里亮太、
1人でマイクに向かう2人の人気パーソナリティーのスタンスの違い。
月曜日の伊集院光はファンの集うリスナーイベントを全く行わないが、
水曜日の山里亮太は毎年定番の年越しライブも含めて積極的に開催し続ける。
筆者はその両番組を"面白い"から聴いているし、山里のライブにも足を運ぶ。
しかし、現場で誰かと話すようなことは全く無いし、感想をツイートすることもない。
でも、自分が提供する側だったら何も反応が無いのは寂しく思うから勝手なものである。
正しい答えは分からないが、絶対に間違っていない答えは、
「面白い」より「つながる」が優先されてはいけないことだ。
東日本大震災の節電や自粛モードの中でのアルバム制作時、
今だからこそではなく、震災の前も後も変わらないもの、
今こそ普遍的なものを作りたいと思って誕生した曲が「くだらないの中に」だった。
「僕は時代のものじゃなくて あなたのものになりたいんだ」。
その曲は当時溢れていた繋がりや絆ではなく"自分になること""自分でいること"を歌った。
それは"好き"や"頑張れ"を言わない、ラブソングであり、応援歌でもあった。
震災後もすぐに再開していたラジオを、今、星野源はやっていない。
でも、しゃべりたくて仕方がないのは、
毎回エンドクレジットぎりぎりまで話す、DVDのコメンタリーを聴けば十分に理解できる。
思春期にラジオのスピーカーから受け取った「逃避できる世界」のバトンを是非渡して欲しい。
星野源からの絶大な信頼を受け、
毎回のライブでの口上を担当し、『RADIPEDIA』の構成作家を務めていた寺坂直毅が、
35歳になって童貞を卒業したのか? あるいはそのまま魔法使いになってしまったのか?
それはそれで気が気でないし。
2015年3月21日、
NHK総合で放送90年ドラマ『紅白が生まれた日』が放送された。
終戦を迎えた1945年の大晦日、ラジオで幕を開けた『紅白歌合戦』の成り立ちを
描いた同作品において、星野源はGHQの通訳を務める日系アメリカ人を演じ、
手を前に差し出して放送開始を伝える「キュー(Cue)」を日本の放送人に教えた。
3、2、1・・・
今、振り出されようといている手の先には、きっと星野源がいる。
『水道橋博士のメルマ旬報』 2016年4月11日(月)朝10時~終了日時4月25日(月)朝10時の期間中、「春のおためし無料キャンペーン」実施中。 詳しくは、以下リンク先まで。https://bookstand.webdoku.jp/melma_box/page.php?k=s_hakase