日本人はもっと積極的に談話をするべき?
- 『聴覚思考 - 日本語をめぐる20章』
- 外山 滋比古
- 中央公論新社
- 1,404円(税込)
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大学等の講義で先生のことばをじっと聴き、自分の思考を巡らせるのではなく、必死にひたすらノートをとっていた、という経験に思い当たる節がある方も多いのではないでしょうか。
このような日本人学生の講義を受ける姿勢を例に、『聴覚思考』の著者・外山滋比古さんは、ことばを巡って私たちが直面している問題に触れます。
ことばを文字、つまり「目のことば/視覚言語」と、話し聴くことばである「耳のことば/聴覚言語」とに分けるならば、日本人は視覚言語の重要性に偏り、聴覚言語の重要性という意識が希薄になっているのではないかと外山さんは指摘するのです。
そもそも新生児の頃、私たちはまず、耳からことばを聴き、口で話し、そのことが言語習得の基本になっています。しかしいつのまにか、耳で聴くことの重要性をないがしろにし、視覚言語にばかり頼る習慣がつくことで、上記のような講義を受ける姿勢に繋がってしまうのだといいます。
そして視覚言語に偏り過ぎて聴覚言語が衰えてしまうことは、聴覚的想像力の低下にも結びつき、ひいては新たな文化を生み出すことが出来ない状況にも繋がってしまうのだと、外山さんは危惧します。
「読み書きより話し聴くことばをおろそかにしてきたのは、日本に限らないが、その偏向はこと日本においていちじるしい。(中略)新しい文化を創り出すには、文字中心の言語をすてて、話し、聴くことばを含めた、大きなことばを考える必要がある」(同書より)
では実際、新たな角度から考えた独創的な発想を生み出すためにも、聴覚言語を意識的に取り入れるにはどうしたらいいのでしょうか。
そのひとつの方法として外山さんは、人と話し合う大切さを説きます。
「クリエイティブな談話というものが、わが国にも、わずかながら存在するが、もっとひろがらなくてはいけない。なるべくタイプの異なる人が、数人、定期的に会合して、これといったテーマがなくても、各人の考えていることを自由に披露するようにしていけば、そのうち、セレンディピティ的な発見がおこる可能性がある。これからの創造は、机に向かい、壁をにらんで沈思黙考する中から生まれるより、にぎやかな放談の中から飛び出す方が多くなるのではないかと思われる」(同書より)
耳のことば/聴覚言語の重要性を認識し、例えば談話という観点を取り入れてみることで、視覚言語にばかり頼っていた時にはおこらなかったセレンディピティ(偶然の発見)がおこり、新たな文化が生れることに繋がっていく可能性があるというのです。
クリエイティブな談話、さっそく実践してみてはいかがでしょうか。