復興のシンボル曲『しあわせ運べるように』がCDブックになって発売

CDブック しあわせ運べるように
『CDブック しあわせ運べるように』
臼井真
アスコム
1,646円(税込)
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 『CDブック しあわせ運べるように』の著者で、現在も神戸市内の小学校で音楽を指導する臼井真さん。阪神淡路大震災で自らも被災し、震災から2週間後に作詞作曲した同名の楽曲は、神戸で16年間歌い継がれている。自身の被災当時と、楽曲誕生から書籍化までの経緯について話をうかがった。

【被災した闇の中で生まれた光の楽曲】

――楽曲が生まれたきっかけを教えてください。
 
 当時は自分自身も被災し、親戚宅へ避難していました。家は全壊し、親戚宅と避難所の学校の往復で一人になって自分に戻る場所がないというのが精神的にも辛かった。そんな地震に負けそうで将来が見えない時に、神戸の三ノ宮の映像がテレビで流れたんです。でもそれは、子どもの頃からずっと見てきた思い出深い地元の姿ではなかった。一気に"ふるさとが消えた"という喪失感が私を襲いました。その瞬間、近くにあった紙を手に取り、胸に込み上げてきたものを書き留めたのがこの曲です。避難所に人が溢れている体育館の真ん中に、子ども達が立って歌うイメージで作りました。

――非常時に曲を作ったことに対し、周囲からはどのような反応があったのでしょうか?

 ふだんから子どもたちが歌う曲を作詞作曲していて、この曲はちょうど150曲目くらいでした。私の作曲スタイルを知らない人から、「こんな非常事態の時に歌を作る暇がよくあったな......」と言われたこともあります。でも、自分と同じ職場の人たちは理解してくれました。これほどの強い感情を持って、自分自身の痛みも反映した曲作りは初めてでしたし、震災時の状況で自分が曲を作れるとも思っていませんでした。でも、突然わき上がってきたんです。それはきっと、精神的に極度に追い詰められていたからだと思います。今となれば不思議ですね。

 「歌詞がストレートすぎる」、「自分が泣いてしまって教えられない」とおっしゃる先生もいましたが、徐々に歌ってくれる学校が増えてきました。また、こうして歌自体が広がろうとしているのは、絶対止めたくなかった。励ましの手紙にはすべてに返信し、最初の頃はテープに歌を録音して送り返したりもしました。ですから、16年経ってやっとすべてを本にできたのは感無量です。人は誰しも好きな歌もあれば嫌いな歌もある。すべての人に受け入れられるものなどありません。でも、「歌に救われた」という手紙や支援が多かったので、今までやってこれたんだと思います。

――「亡くなった方々のぶんも 毎日を 大切に 生きてゆこう」という歌詞には、すごく強いメッセージが感じられます。

 震災の日はいつもより早めに起きていて、ちょうど自宅の2階に上がって数分後に地震が来ました。1階は崩壊したのですが、もしあの時2階に上がっていなかったら......。同じ状況で、建物の重みで亡くなられた方が大勢いた中、自分もそうなっていたかもしれないと思うと震えが止まりませんでした。「人って簡単に死んでしまうんだな」「亡くなられた方はどんなに悔しかっただろう」と。これからの時間を大切にして生きていかないと罰が当たると思い、歌詞に気持ちを込めました。

 また、自分の教え子にも、学校が休みになってラッキーだとはしゃぐ子がいる一方、神戸市内でも亡くなった子もたくさんいた。避難所で大人達の邪魔をして遊んでいる子には、「両親を亡くして悲しみのどん底にいる子どもたちがいる事を分かっているのか!?」と思ったこともあります。そういう子どもたちも、地震に負けていると思ったんです。この歌詞は、地震に負けそうになっている自分自身と子どもに向けた2つのメッセージでした。

 しかし、新潟県中越地震の時も感じましたが、やはり子どもは強いですね。神戸でも校区の三分の一が全焼した学校に震災直後に転勤した際、悲惨な状況にいるにも関わらず子ども達は明るかった。家がなくなっているのに強い。そんな子ども達の存在は希望だとあらためて思うことが多かったです。大人は過去の方が長いから、どうしても昔を振り返って悩んだりするけれど、子どもは未来の方が長いので先を見ている。この曲が残ったのも、子ども達が歌うから希望の歌になったのだと思います。

【震災の記憶を風化させないために歌い続ける】

――タイトルには、どんな意味が込められているのでしょうか?

 震災前、授業の一環として"しあわせを運ぶ天使の歌声合唱団"というのを作って活動していたんです。当時赴任していた学校には、自分の気持ちを歌で表現できない子どもが多く、何とか歌えるようにしていきたかった。担任の先生方と色んな話合いをしたなかで「歌の宅配便をやろう」というアイデアが浮かんだのです。合唱団のプラカードを作り、子どもたちだけでまずは校長室に歌いに行きました。すると校長先生が、「疲れていたけど、みんなの歌を聴いて元気が出たよ!」と言って喜んでくれた。そこから学校の調理師さんや管理員さん、校門前の道行く人へと、どんどん多くの人へ歌を届けていきました。その度に子ども達が、「涙を流して聴いてくれたよ!」「拍手して喜んでくれたよ!」と笑顔で戻って来るんです。中には「通勤途中に歌を聴いて、いい気分で出勤できました」という電話をいただいたことも。心を込めて歌うことで相手に運んだしあわせが子ども達にも返ってくるんですね。

 当初、『しあわせ運べるように』の歌のタイトルは、『しあわせを運ぶ歌』でした。全校生向けに歌の楽譜を印刷し配布しようと準備した時に、ある先生に「いい歌やけど、曲のタイトルが硬い。"しあわせを運ぶ歌"より『しあわせ運べるように』って歌の最後のフレーズを使ったほうが、やわらかくてええんちゃう?」とアドバイスをもらって全部刷り直したんです。これは大きな助言でしたね。この、ほのぼのとした心の通い合いや活動がなかったら『しあわせ運べるように』という題にはならなかった。だから、この合唱団が原点です。活動を支援してくれた担任の先生や職場のメンバーには本当に感謝しています。今思えば、子ども達も目の前で歌って涙を流しながら聴いてくれる人がいたから、歌が届いた喜びを実感できたのだと思います。

――16年間歌い継がれている『しあわせ運べるように』。作った当時はここまで広がると予想していなかったのでは?

 不思議としか言いようがないです。親戚宅での避難中に曲を作り、世界の中でたった一人、悲しい状況の中、自分の心の中だけで歌っていた曲。それが、震災10年目の追悼式で神戸の子ども達1000人が、大きなホールで自分の指揮を囲んで歌った時は奇跡だと思いました。いろんな場面で奇跡を感じています。そのうち、「これは記録として伝えていかなあかんな」と思うようになりました。その16年間の思いが、この本に詰まっています。音楽に感動して涙すること、歌を共有して泣けること。自分が見てきた子ども達のきれいな涙。生の音楽の力で号泣する純粋な涙が実話として今の時代にもあるんだということを伝えたい。その中心には、いつもこの歌がありました。

――同著と楽曲を通じて全国の人に伝えたいメッセージをお願いします。

 神戸の震災がどんどん風化されてきています。被災した我々にとって1月17日5時46分は忘れられない日にちと時間。でも実際、他府県では多くの方が忘れてしまい、神戸の街もきれいになって記憶も消えてきている。震災を経験した当時の先生も定年退職などで半分くらいになってしまいました。もう一度、この歌を語りべとして、被災地の思いや歌の力、曲の役割を伝え、今東日本で被災されている方々の心の復興の少しでもお役に立てればと思います。本の付属CDには、歌詞の「神戸」の部分を「ふるさと」にかえて歌った"ふるさとバージョン"も収録しています。被災地以外の子ども達にも"ふるさとバージョン"を歌って、自分のふるさとにも気持ちを向けてほしいです。全国の子ども達が同じ歌を知って、思いを込めて歌ってくれたらうれしいですね。

 私の教え子の中には音楽の先生になった子がいますが、この歌は、若い先生にも伝えていかないといけないと思っています。今や神戸市のすべての小・中学校で歌われていますが、歌詞の説明までしているか、「亡くなった方々の分~」というところはどういう風に歌うように指導しているのか...不安です。

 この曲を楽しそうに歌っている子どもとすれ違った遺族の方から「あんな風に歌われる曲になってしまったんですね」と連絡を受け、すごくショックを受けたことがあります。日頃から「ふざけて歌うんやったら歌わんとき!」と言ってきました。でも170以上の小学校があって、私がすべて指導するのには限界があります。先生同士で伝えてくれる学校もありますが、その先生が退職したらまた伝わりにくくなってしまう。だからこそ、こうして本にできたのは、読んでくれた人が同じ思いで歌を広げてくれると思うので本当に良かった。

 震災の起こった時期になると、なんとなく「この歌を歌いましょう」という雰囲気になりつつあります。歌詞の意味や誰に向けて歌うべきなのかが分からないと、心を込めずに歌うことになってしまう。だから、ふざけて歌うならあえて歌わなくていい。先生方にはそれを教えていってほしいですし、教職員の中でも声を大にして伝えていくとが大切だと考えています。天使のような清らかさをもった子ども達が、被災地に思い伝えるように願い作った曲。この本を通して、東日本の方々、日本の方々にしあわせが運べるようにと願っています。


<プロフィール>
臼井真(うすいまこと)
1960年兵庫県神戸市生まれ。1982年より神戸市内の小学校で音楽専攻科教諭に。1995年、阪神淡路大震災で自宅が全壊。当時、作詞作曲した『しあわせ運べるように』は、震災の追悼式や成人式などで歌い継がれ、現在、神戸復興のシンボルとして知られている。7月25日発売の『CDブック しあわせ運べるように』の著者の書籍とCDの印税は全額、東日本大震災の支援として寄付する。HP(http://www.shiawasehakoberuyouni.jp/)で付録CDの録音風景(メイキング)映像を配信中。

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