看護職の自己犠牲は当然なのか? 朝ドラ『風、薫る』原案本からの問題提起

- 『明治のナイチンゲール 大関和物語 (単行本)』
- 田中 ひかる
- 中央公論新社
- 2,530円(税込)

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2026年9月25日に最終回を迎えるNHK連続テレビ小説『風、薫る』は、歴史社会学者・田中ひかるさんによる著書『明治のナイチンゲール 大関和物語』を原案とした作品です。
ドラマの主人公のモチーフとなったのは、本書の主人公である、下野国黒羽藩(現在の栃木県大田原市)家老の娘として生まれた大関 和(おおぜき・ちか)と、幕臣の娘の鈴木 雅(すずき・まさ)です。和と雅は、日本初の「トレインド・ナース(※正規の訓練を受けた看護婦)」となり、近代看護の発展に尽力します。
雅は、日本初の派出看護婦会(※現代でいう訪問看護ステーションに近いもの)を設立。やがて日清戦争で看護活動に当たった従軍看護婦が注目されたことや、伝染病の流行を背景に看護ニーズが高まり、雨後の筍のごとく派出看護が乱立し始めます。なかには看護知識がない素人同然の女性を斡旋するような、見掛け倒しな悪質な仲介業者もあったのだとか。
「レベルが低い派出看護は取り締まるべき!」と憤慨する和に対して、雅は以下のように諭します。
「まずは、看護婦に一定の教育を課す制度や、資格の整備が必要ではありませんか。そうすれば、派出看護婦に限らず、病院の看護婦の水準も保たれます。私は、看護婦という職業が、女性の自立の手段であってほしいと思っています。ですから、農村から出てきた若い女性たちが看護婦になろうとすること自体は歓迎します。彼女たちを排除するのではなく、育てるべきです」(本書より)
看護への志を同じくする和と雅ですが、待遇や自己犠牲に対する考え方は、平行線をたどることもしばしばでした。とにかく患者さん第一で、自分のことはそっちのけで奔走しがちな和に対して、雅は以下のように反論します。
「昔から和さんの看護の原点は献身ですよね。言い換えると自己犠牲です。看護婦たちが無意識のうちに過重労働や無償奉仕をしてしまうのは、その犠牲的精神のせいですよ」(本書より)
そう言われた和も負けずに、「そう言う雅さんも、慈善看護という無償奉仕に力を入れてきたではありませんか」(本書より)と返します。
それに対して雅は、「それは貧しい人たちに対してのみです。原則、看護婦は技術によって報酬を得るべきです。当たり前のように自己犠牲を求められるのでは、負担が大きすぎますし、いつまで経っても地位が向上しません」(本書より)と述べます。
和と雅の「献身・自己犠牲・地位向上」をめぐる対話は、現代の看護職にも通底するテーマといえるのではないでしょうか。そして、議論の内容は深刻ですが、2人が重ねるテンポよい会話からは、どこか爽快感さえ漂います。お互いの信頼関係がなければ、ここまで歯に衣着せぬ会話はできないでしょう。和と雅は、お互いにないものを補い合い、リスペクトし合っていたことがうかがえます。
和と雅の議論からも見て取れるように、とかく「看護=自己犠牲」というイメージは、現代の看護職にも色濃く残っています。しかし、私たちは看護職の献身による恩恵を享受するだけでなく、その構造的な問題について、改めて振り返る必要があるのではないでしょうか。本書のエピローグで、著者の田中さんは以下のように述べます。
「現在、全国で約一七〇万人の看護師が働いている。コロナ禍において、その過酷な労働環境や、それに見合わない待遇が問題視され、政府はわずかな賃上げを決定した。高度な知識や技能が必要とされる専門職でありながら、なぜ看護師の賃金は低く据え置かれるのか。突き詰めれば、女性が多い職業だからということになろうが、トレインド・ナースが誕生したとき、彼女たちが『献身』や『慈善』『無償』を是としたことも関係していよう」(本書より)
丹念な取材に立脚し、静謐な筆致で日本の看護史の黎明期を描く本書は、看護職に求められてきた献身や無償奉仕の歴史をたどりながら、専門職としての地位や待遇について問いを投げかける一冊です。
[文・山口幸映]
※歴史上の職名や本書からの引用については、当時の表記に従い「看護婦」としています。現在の法令上の名称は「看護師」です。