『明石家さんまヒストリー』
福岡県生まれ、大阪府在住のライター(『水道橋博士のメルマ旬報』が初仕事)。少年時代から既に大スターであったさんまさんに僕が初めて興味を抱いたのは、1993年のこと。将来に不安を感じ、鬱屈した気持ちを笑いで晴らしてくれたのがさんまさんだった。それから間もなくして、ラジオ番組『MBSヤングタウン』に出会う。そこには、テレビとはまた違う、素に近いさんまさんの姿があった。少年時代の思い出、栄光のさんまヒストリー、数々の試練、心を打つ至言……気がつくと僕は、さんまさんが発する言葉を手当たり次第、ノートに書き留めていた。 そして1996年3月23日、この言葉に出会う。 「言っときましょう。私は、しゃべる商売なんですよ。本を売る商売じゃないんですよ。しゃべって伝えられる間は、できる限りしゃべりたい。本で自分の気持ちを訴えるほど、俺はヤワじゃない」 僕はこの言葉に感銘し、さんまさんが“しゃべり”によって伝えてくれた言葉を、きちんと“記録”していこうと決意する。 2013年9月、さんまさんの“しゃべり”を元に、約20年かけて集積した明石家さんまに関する資料を総動員させ、『水道橋博士のメルマ旬報』にて、その観察結果を発表する。 いずれは「明石家さんま研究家」と名乗れるような活動をしていきたい。 twitterアカウント @m_kac https://twitter.com/m_kac
「明石家さんまの伝説の一日~終幕後にさんまが文枝に問うたこと~」
2012年4月8日に開催された吉本興業創業100周年特別公演「伝説の一日」。208組、277名に及ぶ吉本興業の芸人さんが「なんばグランド花月」に集結し、吉本興業が運営するその他の劇場や、全国各地の映画館、ソウル、台北、香港の会場で実施されたライブビューイング、他、特別番組、イベント等を合わせると、総勢344組514名の芸人さんがこの公演に参加したそうです。それから10年の歳月が流れた2022年4月・・・
2022-04-22 更新
「明石家さんまの最も古いインタビュー記事」
僕が20年以上かけて集めてきたさんまさんに関する記事の中で、一番古いインタビュー記事は、「週刊明星」1980年10月5日号に掲載されたものです。聞き手は、当時、芸能リポーターとして活動されていた梨元勝さん。「梨元勝の汗だくインタビュー」と題された記事で、トップページには、「いい女と寝たいために落語家になったんや!」というキャッチ―な見出しと、白のTシャツにニットのベストを重ね着した25歳のさんまさ・・・
2022-03-17 更新
「明石家さんまさんへのインタビューを実現するには」
2022年1月31日、WEBマガジン・フイナムのサイトに、明石家さんまさんの最新インタビュー記事が公開されました。インタビューのオファーはほとんど受けないさんまさんが2時間近く語ったロングインタビュー。どうやら、さんまさんのお気に入りブランド「Dsquared2(ディースクエアード)」が仲介したことにより実現した企画のようです。このインタビューでは、「ディースクエアード」との出合い、木村拓哉さんと・・・
2022-02-12 更新