逸材逸話
生年月日:1976年11月13日 身長:181cm 体重:103kg 出身地:岐阜県 BLOG http://ameblo.jp/highfly-tana/ Twitter @tanahashi1_100 Instagram @hiroshi_tanahashi 大学時代からレスリングを始め、98年2月に新日本プロレスの入門テストに合格。 99年に立命館大学を卒業し、新日本プロレスへ入門。同年、後楽園ホールにでデビューを果たす。 03年3月、自らが熱望していた「U-30(30歳以下限定王座)」を提唱しリーグ戦を開催。 同年4月に勝利を収め初代U-30王者となった。 その他、吉江とのタッグで第44代IWGPタッグ王者、永田裕志とのタッグで第47代GHCタッグ王者、 IWGPヘビー級最多戴冠数保持など、華やかな経歴を持つ。 近年はリングを越えて、テレビのバラエティやドラマなどでも活躍中。
「なぜ棚橋弘至は新日本プロレスだったのか」
プロレスの聖地、東京水道橋にある後楽園ホールが60周年を迎えました。今年、新日本プロレスと全日本プロレスが50周年なので、さらに10年先輩ということになります。歴史の長さを感じますね。その60周年を記念して4月16日に「後楽園ホール還暦祭」が行われます。という今は、その試合当日の朝に原稿を書いているわけですが。50年を迎えた、新日本プロレスと全日本プロレスですが、両団体も存続の危機がありましたし、・・・
2022-04-18 更新
「なぜ棚橋弘至はベビーフェイスが好きなのか」
プロレスを好きになる「きっかけ」は、ファンの方の数だけあるとは思いますが、やはり、今で言うところの「推し」を見つけることが多いのではないかと思います。僕が高校生のときに「推し」という言葉があったならば、完全に「武藤敬司、小橋建太推し」でした。17歳。2歳年下の弟と一緒に観るようになった深夜のプロレス中継。新日本プロレスの「ワールドプロレスリング」と全日本プロレスの2つの番組がありました。1993年・・・
2022-04-12 更新
「なぜ棚橋弘至はご縁に恵まれたのか」
3月14日深夜。大事な試合を控えていた僕は、ホテルの部屋で早めにシャワーを浴び、電気を消して眠るばかりになっていた。こうして横になり、スマホをいくら触っていると、自然と寝てしまっていることが多いけれど、この日は違った。Twitterのタイムラインに「スコット・ホールさん死去」の文字を見つけたからだ。随分前から、体調がよくないということは聞いていたけれど、まさか、入院されていて、生命維持装置をつけて・・・
2022-03-24 更新