1978〜2008 ☆ ぼくのゲーム30年史
1961年生まれ。中古レコードや古本ネタを得意とするライターであり、神保町で特殊古書店マニタ書房も経営すしている、いわば“プロコレクター”。ファミコンの黎明期にゲーム開発者として活躍していた過去もあり、現在はその経歴を活かしてWEBコミック『熱中!ファミコンブラザーズ』を連載中(原作担当)。 著書:『底抜け!大リーグカードの世界』『人喰い映画祭』『無限の本棚 ─手放す時代の蒐集論─』
33 知的な時限爆弾
ゲームフリークは、会社を辞めた人間にも頻繁に仕事を発注してくれた。おかげで、フリーランスになってもあまりお金には困らずに済んだ。ぼくはなぜこんないい会社を辞めてしまったのだろう。 すべては自分のわがままだ。会社の業務としてたくさんの仕事をこなし、ちょっと仕事を覚えたら、それをすべて自分一人の力で出来るようになったと勘違いする。そうして独立の虫が疼き始める。小説を書いてみたいから、というのが言い訳・・・
2021-12-13 更新
32 二度目のフリーランス
ゲームフリークに在籍していた期間について答えるときは、説明が面倒なので「1992年に入社、2008年に退社」と伝えることが多い。しかし、前項で書いたように、ぼくは1994年にも一旦会社を辞めている。つまり、社員番号005はゲームフリークを二度辞めた、なのだ。 会社に不満があったわけではない。元々が友人同士で始めた会社なのだから居心地はよかった。ゼロからものを造り上げる仕事が楽しいことばかりでない・・・
2021-11-14 更新
31 開発部員として
ぼくのゲームフリーク正社員としての生活は、出版部主任という立場から始まった。とはいえ、少ない人数で多くの仕事をこなしていくために、ゲーム開発も手伝うことになる。創業当初のゲームフリークでプランナー(企画職)ができるのは、田尻の他にぼくと杉森と、あと数名しかいなかったからだ。 それまでのぼくは読書でも映画鑑賞でも、マイナーなものやアンダーグラウンドなものを好んでいた。ライターとして署名コラムで文章・・・
2021-10-13 更新