『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』外伝 小説「ジャンボ鶴田が黒パンツに変えた日」(5)

 1977年に「全国朝日放送」通称「テレビ朝日」と社名を変えたNETは、大幅な組織改編を行った。それぞれの部署を統括する「局」が設けられた。 例えば番組を作っていた制作部やアナウンサーが属するアナウンス部は、新設の編成制作局の統括に置かれた(現在の名称はコンテンツ編成局)。番組宣伝部は宣伝部となり広報局の傘下に置かれた。 運動部も新設のスポーツ局に置かれた。各部署の予算はすべて局長の胸三寸で、何をするにも決済が必要となった。局長は全員が朝日新聞社から降りて来た出向社員が座り、プロパー社員が局長になるのは90年代まで待たねばならない。 1981年7月1日。運動部長の永里高平に「スポーツ局次長」のポストが与えられた。天下りの局長に全権を握られているとはいえ、それが「公家さんのお飾り」でしかないことは判っていた。というより、ある出来事がその意を強くさせていた。「WBC世界ジュニアバンタム級タイト・・・・・・・・・・

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