第三二回 2002年ワールドカップ招致委員会
1995年1月、ブラジルから戻ったぼくは、2002年ワールドカップ日本招致委員会の広瀬一郎さんから呼び出された。彼はなぜか、ぼくがブラジルのリオ・デ・ジャネイロでFIFA会長だったジョアン・アベランジェに取材したことを知っていた。 ぼくはブラジルでの取材を手配してくれたミルトン佐藤と一緒に、招致委員会へ行くことにした。 招致委員会は、虎ノ門にある新日鉱ビル(現・虎ノ門ツインビルディング)のワンフロアを使用していた。地上二〇階建ての二つのビルがL字型に繋がっている88年完成の近代的な建物である。虎ノ門という一等地の高層ビル、家賃はかなりの高額だろうという想像はついた。 受付の電話で広瀬さんを呼び出すと、「こっち、こっち」と顔を出した。初対面なのに、ずいぶんとなれなれしい調子だった。 パーティションで区切られた会議室の奥側に広瀬さんはどんと腰掛けた。そして、こう切り出した。「アベランジェに取材・・・・・・・・・・
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