第二五回 ジーコとガリンシャ

一九九四年十月、ぼくはジーコの新連載の取材でブラジル、リオ・デ・ジャネイロにいた。 原稿はジーコの“一人語り”という体裁を考えていた。そのため滞在中、ジーコには二度話を聞くことになっていた。そして、こうも思うようになっていた。一人の人間を描くために、その人間に話を聞くだけでいいのだろうか、と。 この連載ですでに書いたように、勝新太郎さんと行動を共にするうちに、人は多面体であるとつくづく感じた。また、自らの像を等身大に把握することは難しい。さらにそれを取材者に過不足なく伝えるかどうかは別問題だ。非取材者の正しい像を映し出すには、複数の人間に取材、複眼的視座が不可欠である。 そこで、ぼくは彼が生まれ育った、リオ内陸部のキンチーノ・ボカイウーバ地区に行くことにした。かつてジーコは、ガリーニョ・デ・キンチーノ、キンチーノの雄鶏という渾名で呼ばれていた。 キンチーノ・ボイカウ・・・・・・・・・・

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