連載
映画ジャーナリスト ニュー斉藤シネマ1,2

第13回『80年代映画館物語』〜ちょっと変わった子ですけど、出来ない子じゃないと思うんです...。

80年代映画館物語
『80年代映画館物語』
斉藤 守彦
洋泉社
2,700円(税込)
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☆自分で自分の書いた本の書評を書くハメに...。

 いやあ、まいったなあ。まさかこんなことになろうとは。
「次回の書評、どの本を扱いますか?」
「うーん...何がいいですかねえ。まさか自分の書いた本ってわけにはいかないでしょうが、ここ数日は自分の本しか読んでいません(笑)。校正ですけど」
「あ、それ、いい!! それで行きましょう!! 斉藤守彦が斉藤守彦の書いた本の書評を書く!! よろしくおねがいします!!」
「それだと確かに、読む手間は省けるけど。うーん...」
...というようなやりとりがあったんだけど、まあそういう試みもたまにはありか。この映画本専門書評連載も、2年目に入ったことだし。ここはひとつ、自分の中にもわずかに残っていた、自己客観視能力ってやつを稼働させて、再度自分の本を読み返してみますか。


☆『80年代映画館物語』裏事情。

 皆さんに「よくもまあ、こんなものを載っけたなあ」と、お誉めいただいている(ちがう?)、第22章の「80年代都内主要映画館番組表」。結局この番組表だけで全320ページのうち94ページを占めてしまいました。ただ、この図表は最初からやる予定でした。タイトル通り「80年代の映画館」で何を上映していたかを表現するのには、これが一番ですから。

 当初10ページから20ページの予定が「とうてい入りませんっ!!」という編集者の悲鳴に「文章はいくらでも切るけど、この図表をカットするのは、まかりならんっ!!」と言い放ち「では、40ページに増やします!!」ってことになり、作業を進行したのですが...校了数日前になって「40ページに収めることは出来ました。ただ...文字が小さすぎて、読めません!!」。やむなく本文中に掲載する写真を限界まで外していってページを確保。なんとか94ページに「判読出来る文字サイズ」で、番組表を掲載することが出来ました。

 ちなみにこの番組表、作業中は「地獄の番組表」と呼ばれていました。その「地獄」をイヤというほど味わったのが、デザイナーのボギー君で、「デザイナーの心が折れてしまいました!」「20時間、番組表と格闘しましたが、もうデザイナーの限界です。今日は帰宅させます!!」といったメールが編集者から連日来るわ来るわ(笑)。いや本当によくやってくれました。この場をお借りして、感謝を捧げます、ボギー君。


☆ちょっと取材対象に気を使いすぎたという反省は...。

 『80年代映画館物語』が成立した大きな要因は、当時の映画状況、映画館の実態を体験している、知っている人たちが、筆者の周囲にいてくれたから。これは大きかったですね。あとがきにも書いたように、興行という「残さない業種」の痕跡を辿るのには、当事者に話を聞くしかありませんし。幸いにして映画業界紙時代に知り合った、興行関係者や配給関係者が皆さんお元気(お元気すぎる!!)で、連絡をしたところ、27人(うち匿名希望ひとり)の取材候補者全員が対応をしてくれることになりました。まず取材ありきのジャーナリストとしては、とてもうれしいリアクションではありますが、完成した書籍の文章を読んでみると、いささか取材対象に気を使いすぎというか、「この人には、もっと突っ込んでも良かったのでは? 遠慮しすぎたかな?」といった箇所が散見されるのもまた事実です。

 昨今では、取材をした後に「このコメントを掲載させていただきます」と、発言内容の確認を取材対象にしてもらうのが、取材のルールみたいになっていて、「発言チェック」と呼ばれるこの作業が、とても手間がかかったりします。というのは、取材時に言ったことを活字にしようとすると、発言を撤回したり、別の言い回しに変えたり、これはもうほとんどの人がそういう「修正」や「削除」を希望してきます。中には取材時とまったく逆のことを延々と書き改めたモノを大量にFAXで送信してくる方もいました。
 こうなると、こちらも考えます。

「では、最初の取材の時の発言の信憑性は、どうだったのか?」と。多忙な中、取材として時間を割いて面会した。こちらの質問にも答えていただいた。そのことは感謝していますが、いざ掲載する時になって、前言を全面的に翻すのであれば、取材時に話したことは、すべて嘘だったのか?とさえ言いたくなります。

 時には「削除」を希望してきた箇所に「ここは絶対に必要なところですから、このままにすべきですっ!!」と説得したり、取材対象ではなく著者の見解として文章に反映したり。色々な対策を講じるわけです。ただ、そういうことが出来るのも、こちらと取材対象に、あらかじめ信頼関係があってこそ。今回の取材対象の大半は、そうした、書き手である私のキャラクターを理解してくれている方々ばかりでしたので、「こういうことを、さいとーに話すと、こう書かれるだろう」ということを、予知してくれていたわけで(笑)、融通の利かない取材者としては、とても助かりました。ただ、そこまで取材者に対する理解があるのでしたら、こちらもその姿勢にもっと甘えるというか、「んで、本当のところはどーなのよ!?」と、さらに深いツッコミをしても良かったかな?という気持ちはあります。久しぶりにお会いした、そのうれしさと懐かしさで、質問に鋭さがなかったという反省は、完成した書籍を読んで感じました。

 次にこういう取材の機会がありましたら、辛口で疑り深い取材者になって、無遠慮にずけずけと突っ込むことにしようと、心に誓いました。いっひっひ。


☆紋切り型上等! 事実を書く上で、情緒を交えてはいけない。

 うれしかったのは、『80年代映画館物語』の帯に惹句を書いてもらうために、惹句師の関根さんにゲラを送ったところ、翌日電話があり「もう読んじゃったよ」と。「えっ?でも昨日ゲラが届いたとこでしょ?」「うん。でもどんどん読み進めることが出来たよ」と言われたことでした。まあそれは、関根さんが東映社員としてあの時代を経験しているからだろう...と思っていましたが、本書が発売になってからも周囲やSNSで「とても読みやすかった。すぐに読んでしまった」との声をいただきました。これはうれしかった。本当にうれしかった!! ずっと「お前の文章は紋切り型で、潤いがない」と言われてきましたから。はい。映画業界紙なんて特殊な環境で取材・執筆をしていましたから、ビジネス的というか、所謂「5W2H」に忠実な表現をすること、文章に情緒を込めないことを良しとしてきました。それが未だに抜けないのですが、個人の感情ではなく事実を書くのでしたら、この文体がベストだと思っています。

 あの時代の映画や映画館に思いを馳せる。あの時の自分について語る。それを語り部である著者が書くのはどうでしょうか。むしろそれは、読者の方がすること。いや、そういうことが出来るのが、読者という立場の特権とさえ思います。だから紋切り型と言われ続けた文章が「読みやすかった」というご意見は、拙著、拙文に対する最良最上の評価と受け止めさせていただきます。ありがとうございました。


☆一言で言えば「映画をネタにした、変な本」

 「東京の映画館について書かれても、地方の読者はわかんないじゃん」。はい、おっしゃる通りでございます。「しかも80年代なんて昔の話をされても、若い人には理解不能」。その通り。「業界用語とかがたくさん出てきて、分かりづらい」。一応用語辞典はつけましたが、完全にフォロー出来ていません。ネットとかで検索すれば、すぐに分かると思いますが。

 ...とまあ、色々なご意見はありましょうが、それでも書きたい、作りたいと思った本です。自分で言うのもなんだけど、確かに変な本だよね(笑)。映画について語ることよりも、映画館について、それも特定の年代の東京の映画館について語っていて、しかも番組表をどどーんと出している、とてもニッチでマニアックな内容。

 うん。そーなんですけどね、著書というものは著者にとって、我が子も同然。うちの子、確かに変わっていて、親と同じで取っつきづらくて怪しげだとは思います。でも、決して出来ない子じゃありません。やれば出来る子なんですよ。きっと...。

(文/斉藤守彦)

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斉藤守彦(さいとう・もりひこ)

1961年静岡県浜松市出身。映画業界紙記者を経て、1996年からフリーの映画ジャーナリストに。以後多数の劇場用パンフレット、「キネマ旬報」「宇宙船」「INVITATION」「アニメ!アニメ!」「フィナンシャル・ジャパン」等の雑誌・ウェブに寄稿。また「日本映画、崩壊 -邦画バブルはこうして終わる-」「宮崎アニメは、なぜ当たる -スピルバーグを超えた理由-」「映画館の入場料金は、なぜ1800円なのか?」等の著書あり。最新作は「映画宣伝ミラクルワールド」(洋泉社)。好きな映画は、ヒッチコック監督作品(特に『レベッカ』『めまい』『裏窓』『サイコ』)、石原裕次郎主演作(『狂った果実』『紅の翼』)に『トランスフォーマー』シリーズ。

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